【20号書評】<5617字>弟子(中島敦)

公家シンジ
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先日サウザー御仁が青空文庫で『名人伝』という短編小説を勧めてくれて、それがきっかけで中島敦のいくつかの作品を読むことになった。自分にとっては初めての中島敦である。もちろん『名人伝』はとてもよかったし、むしろ読んだ作品は全部よかったし、正直に中島敦SUGEEEという感じで敬服しきりなのだが、個人的には今回紹介する短編小説『弟子』が一番刺さった。正確に言うと、刺さったどころではなく、めった刺しである。今回はあえて著者には触れずに、物語の登場人物を自分なりに考察してみたい。ちなみに中島敦は『文豪ストレイドッグス』というアニメの主人公として登場しているらしい。未視聴。上のイラストはそのアニメから拝借した。

 

『弟子』は師弟関係のことを描いた小説である。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1738_16623.html

 

孔子との出会いは恋である

舞台は古代中国。子路という若い熱血漢が、世の中から「すごいすごい」とチヤホヤされている孔子大先生に対して「なんだこのおっさんはインテリぶりやがって気に入らん」と殴り込みに行くところからこの物語は始まる。

それで問答の末に子路は孔子に頭を垂れて教えを乞うにいたるわけだが、子路は別に理屈で納得して屈服したわけではない。孔子はたしかに理を説いたかもしれないが、子路のようなタイプには理を説くことは逆効果にもなりえない。これはもう言ってみれば一目惚れ。子路は恋に落ちたのである。「恋に落ちる」メカニズムというものをもう少しぼくなりに想像してみると、

子路は、世の中とうまくやっていけずにいた。
周りから相手にされていなかった。
それゆえに荒んでいた。
子路には、子路の欲する世の中との関わり方があった。
孔子は一瞬でそういう子路を見抜き、
彼のことを優しくかまった。
そうして子路は恋に落ちたのである。

ナンパ講師を長くやっていた自分にはよくわかる。人というのは自分がいいなと思っている人に認められるだけで、いとも簡単に相手に惚れてしまう。ましてや弱っている人間ならカリスマに惚れるのには数秒もかからない。そうして恋はおうおうにして人生の方向を決定づけるだけの力を持っている。講習生を一目で惚れさせることのできない講師など論外だということだ。あ、話逸れそう。

 

子路のひたむきさ、孔子の巧さ

子路は惚れた孔子に倣おうとする。また彼に対して少しずつ心を開いていこうとする。ナンパでいうところのなごみである。「これある哉。子の迂なるや!(これだから先生は、本当に遠回りがお好きですね!)」というふうに多少荒っぽく師に対しても思ったことをずけずけ言っていくのが子路流のなごみスタイルである。それに対して孔子は寛容に受け止めたり間接的暗示的に働きかけたりしながら、子路の成長をうながしていく。ちなみに孔子の誘導テクニックは達人レベルである。彼らの交流の様を表す象徴的なエピソードをひとつまるまる引用して紹介したい。

ある時、子路が一室でしつしていた。
 孔子はそれを別室で聞いていたが、しばらくしてかたわらなる冉有ぜんゆうに向って言った。あの瑟の音を聞くがよい。※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)ぼうれいの気がおのずからみなぎっているではないか。君子の音は温柔おんじゅうにしてちゅうにおり、生育の気を養うものでなければならぬ。昔しゅん五絃琴ごげんきんだんじて南風の詩を作った。南風のくんずるやもって我が民のいかりを解くべし。南風の時なるやもって我が民の財をおおいにすべしと。今ゆうの音を聞くに、誠に殺伐激越さつばつげきえつ、南音にあらずして北声に類するものだ。弾者の荒怠暴恣こうたいぼうしの心状をこれほど明らかに映し出したものはない。――
 後、冉有が子路の所へ行って夫子ふうしの言葉を告げた。
 子路は元々自分に楽才のとぼしいことを知っている。そして自らそれを耳と手のせいに帰していた。しかし、それが実はもっと深い精神の持ち方から来ているのだと聞かされた時、彼は愕然がくぜんとしておそれた。大切なのは手の習練ではない。もっと深く考えねばならぬ。彼は一室にこもり、静思してくらわず、もって骨立こつりつするに至った。数日の後、ようやく思い得たと信じて、再び瑟を執った。そうして、極めておそる恐る弾じた。その音をれ聞いた孔子は、今度は別に何も言わなかった。とがめるような顔色も見えない。子貢しこうが子路の所へ行ってそのむねを告げた。師の咎が無かったと聞いて子路はうれしげに笑った。
 人の良い兄弟子の嬉しそうな笑顔えがおを見て、若い子貢も微笑を禁じ得ない。聡明そうめいな子貢はちゃんと知っている。子路のかなでる音が依然いぜんとして殺伐な北声に満ちていることを。そうして、夫子がそれを咎めたまわぬのは、せ細るまで苦しんで考え込んだ子路の一本気をあわれまれたために過ぎないことを。

孔子はテクニックではなくマインドこそが大事だということを知っている。しかしそれを直接相手に諭し伝えても、子路は反骨精神が強いのでうまく機能しないだろうということも知っている。だからこそ孔子は第三者を媒体にして間接的に伝えていく。そうすると子路も警戒しないで済む。子路は第三者からの伝聞情報を機敏に取り入れ、常に全力で孔子に近づこうとする。孔子は常に愛に溢れている。このような修行の日々である。

 

子路の衝動、孔子の形式主義

孔子は子路にとって磁石のような存在であったに違いない。孔子の一挙一動が子路をトランスに入れる。孔子の存在自体が子路に成長を迫る。そうして成長を迫られるたびに子路は自分自身の外殻に突き当たることになる。自分の心のバリアにも気づいていく。

これほどの師にもなお触れることを許さぬ胸中の奥所がある。ここばかりはゆずれないというぎりぎり結著の所が。
 すなわち、子路にとって、この世に一つの大事なものがある。そのものの前には死生も論ずるに足りず、いわんや、区々たる利害のごとき、問題にはならない。侠といえばやや軽すぎる。信といい義というと、どうも道学者流で自由な躍動の気に欠ける憾みがある。そんな名前はどうでもいい。子路にとって、それは快感の一種のようなものである。とにかく、それの感じられるものが善きことであり、それの伴わないものが悪しきことだ。極めてはっきりしていて、いまだかつてこれに疑を感じたことがない。

大きな疑問が一つある。子供の時からの疑問なのだが、成人になっても老人になりかかってもいまだに納得できないことに変りはない。それは、誰もが一向にあやしもうとしない事柄ことがらだ。じゃが栄えて正がしいたげられるという・ありきたりの事実についてである。
 この事実にぶつかるごとに、子路は心からの悲憤ひふんを発しないではいられない。なぜだ? なぜそうなのだ? 悪は一時栄えても結局はそのむくいを受けると人は云う。なるほどそういう例もあるかも知れぬ。しかし、それも人間というものが結局は破滅はめつに終るという一般的な場合の一例なのではないか。善人が究極の勝利を得たなどというためしは、遠い昔は知らず、今の世ではほとんど聞いたことさえ無い。なぜだ? なぜだ? 大きな子供・子路にとって、こればかりは幾ら憤慨しても憤慨し足りないのだ。彼は地団駄じだんだむ思いで、天とは何だと考える。

こういった描写からもわかるとおり、子路は元来の気質が熱血である。正義の信念を明確に持った行動派である。狂信的な理想主義者であるともいえる。子路の思想は非常に簡明で『善人こそは報いられないければならない』というものだ。その信念に則って起こす行動には強烈な快楽がある。

反対に、孔子には狂信的な行動がない。行動に衝動性がない。とりわけ孔子は無駄死をよしとしない。たとえば家臣が死ぬことで王の暴虐を諫めることができるのなら、その死には意味があると彼は考える。だが一時の熱情に駆られて死を選んで王の行動を変えることができないのなら、その死は無駄であるという考えである。生粋の機能主義だ。

さらに言うと、孔子は形式主義でもある。つまり機能することが実証されている行動のアルゴリズムに粛々としたがっている。まるで有効性が実証されている個室連れ出しルーティンを使い続けるPUAのように。もちろん彼は心の内に理想を抱き続け、そして実際にそれを人々に説き続けているのだが、その理想にいたる道までもしっかりと見切っているものだから、事にあたる対処はとても形式的である。何かを主張しても今は相手には機能しないとわかっていても、布石を打ち続けるのが最善手だと判断したなら粘り強くその主張をし続ける。それはさながらAIが指す囲碁の手のようなものかもしれない。

子路には孔子のこの機能主義、形式主義が納得できない。子路には「邪が栄えて正が虐げられる」というありきたりの現実をまずは腹に受け止めるだけの耐性が育っていない。そのため衝動に走ってしまう。孔子にはそれを懐に留めておくだけの耐性がある。それはおそらくもっと長い時間軸で物事を見ているからだろう。

『弟子』は、理想主義者の子路が師に倣い、現実を受け入れようとしていく物語なのである。

 

天命を知る

子路は結局一国の政治内乱に巻き込まれて死んだ。巻き込まれたというか、自らすすんで首を突っ込みにいって惨殺された。つまり結局は衝動的に自らの理想に殉じたということになる。

それが子路の運命だったというのなら、運命の変えられなさを思わずにはいられない。子路ほどのひたむきさをもってしても、孔子ほどの偉大なる魂をもってしても、この運命は免れなかった。「自己啓発」はどうやったって運命という巨大な存在に一矢報いることはできないのか。「教え」がそれを手助けすることもかなわないのか。ということをぼくはいつも考える。安易な人間は「成長しろ」だとか「自分の殻を破れ」だとか「常に変化せよ」などとよく宣う。しかし自分を打ち破ろう乗り越えようともがき続けた人間ほど自分自身の外殻のどうしようもない堅固さを知っている。それを打ち破って越えていけない自分自身の不自由さを。幾多のチャレンジを経て自らの外殻の全体に触れきったときに、人は自らの運命をトレースするしか道はないのだということをようやく自覚し始めるのかもしれない。中国ではそういう意味での道のことを「天命」だといったりする。子路が自らの天命を少しずつ自覚したのは50歳の頃だったはずだ。「おれは孔子ではなく子路なのだろう」と。そうして子路はある程度自らの天命を知り、孔子と袂を分かち、一国の実務に携わることを決意する。その国で彼は惨殺されるのである。

もちろん孔子も子路の天命を知っていた。生前にきっちりその壮絶なる死を予言していた。そして最終的には子路はそのとおりの死に方をし、孔子はおおいに悲しんだ。彼は彼で自らの祖国に政治の在り方を粘り強く説き続けて、ありがたがられはするものの特別に重用されることもなくひっそりと死んだ。彼の教えは死後たくさんの弟子たちによって受け継がれ、現代にも様々なところで脈々と生きづいている。孔子は自分の外殻に触れ、己の天命を知り、それを全うしたということだろう。

 

恋をしている者には天命を全うすることはできない

ここで終わりにはできない。最後にもう一つだけ考えたいことがある。子路が惨殺される直前に叫んだ「見よ!君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」というセリフについてである。このセリフが頭から離れない。子路は衝動にまかせて政治内乱に自ら巻き込まれにいった。それが彼の天命であったはずだ。だが冠を正す行為こそはまさに孔子の則る形式主義の振る舞いだった。ここに子路の倒錯がある。電撃のような誰かとの出会いはあなたの心を感電させる。それが恋だ。恋こそが影響力の根源であり、あなたの人生を局所でディレクションするものだ。孔子の影響は子路の内では死の直前にすら大きな力を及ぼしていたのだということ。恋をしている者には天命を全うすることはできない。どうしたって倒錯してしまう。

物語途中で子路が半遁した隠者と出会うシーンが印象的である。そこで隠者の老人は子路に半遁の思想を語る。半遁には半遁の理があって、子路はその研ぎ澄まされた思想に少なからず共感する。ただし師の孔子は遁世を良しとしていない。世に出ろ、世に出ろという。ここで子路は思い揺れるが、最終的に子路の心を支配するのはやはり孔子である。結局子路はは師の教えに従い、その反動としてこの隠者の老人のことを強く憎むようになる。孔子への盲目の恋が認知を歪めてしまっている。もし彼がこの時点で孔子から離れてこの老人を第2の師として仰いでいたらどうなっていただろうかと想像せずにはいられない。

子路にとって孔子とは何者であったか。大好きな人、自らを認めてくれる人、世の道理を教えてくれる人。彼はもう出会った瞬間から孔子に頭をやられてしまっていた。街角で孔子の悪口が言われているのを聴いただけでその相手をぶちのめそうとしたし、孔子がくだらない男女と少しでも関わっているだけで明らかな嫌悪感を示した。他の弟子たちが孔子を評してあれこれ論じていると「わかってないなこいつら」と苛立ち、世の諸侯たちから孔子が冷遇されると自分が冷遇される以上に心を痛めた。そこでは精神分析の用語でいうところの『自己投影』がきっちり起こっていた。子路にとって、孔子は、世へとつながる唯一の窓のようなものであったのかもしれない。子路はその窓以外で世の中とつながることを拒絶していた。孔子はいわば、自分と世の中との唯一の連結点であった。彼は修行の日々の中で、自らの外殻をしっかりと認識していったが、師と自らとの境界だけは客観的に捉えることを拒絶していた。孔子のもとを去った後ですらも、彼の心には常に孔子があった。そうして自らの天命と孔子への想いに板挟まれて倒錯したまま彼は死んでいったのである。と、そういうふうにぼくは読んだ。