【23号書評】<5870字>意志力の科学(ロイ・バウマイスター)

公家シンジ
Pocket

あなたが日々路上に出れないのはなぜなのか。
禁酒や禁煙に挫折するのはなぜなのか。
ブログをコツコツと継続して書けないのはなぜなのか。
どうすればできるようになる??

今回紹介する『意志力の科学』は、心理学の観点からこういった種類の疑問に答えてくれる本である。『意志力』という一見漠然とした心理学的な概念についてのあれこれを、その筋の世界的権威が書いてくれている。正直に言うと、内容はけっこうダラダラ書いてあって大変読みづらかったのだが、何度か読むことで構成や趣旨が自分の中ですっきりしたので今回はそれをまとめておきたい。

意志力のメカニズムを理解すること。
そのうえで合理的にこれを鍛えていく方法論を獲得すること。

そういうことに興味があるひとは、以下の要約を読んでみるとスッキリしてなにかしら実行したくなるかもしれない。

 

要約1:意志力とは筋肉のようなものである

そもそも意志力とは何か。
著者によると、意志力とは自分自身をコントロールする力である。

われわれは往々にして気合だとか根性といったものを過信しがちである。男なら根性見せてなんぼやろと。目標が達成できないのは気合が足りてないからだと。身体が頑強で思考がマッチョな人間ほど根性の力を信じている。そして他人に対しても常に気合を要求して行動を強制する傾向がある。気合を発揮できない人間はヘタレ、劣っているものとみなされる。

だが、意志力というのは、気合のような漠然とした概念ではない。

それは心理学的に実在する。つまり心理学上のものさしでもって測定することのできる力であるということだ。『気合』や『根性』、はたまた昨今流行りの『雑談力』などのようになんでもかんでも力をつけただけのおぼろな概念ではない。これについては、心理学実験(めんどくさいから実験の内容は書かない。興味ある人は第1章を読んでほしい)によって測定可能だということが明らかになっている。つまり、意志力には心理学上の裏付けがある。くわえて、意志力が消耗しているときは、実際に脳のある部分(正確には、前帯状皮質)の働きがにぶくなっていることもわかったそうだ(P.43)これはつまり、大脳生理学上の裏付けを得たということである。本書はこういった複数の根拠を土台にして、読者に『意志力』の存在に関しての説得力を行使している。

もっと素人にもイメージしやすいような喩えを用いるならば、意志力とは筋肉のようなものである。リソースは限られていて、使うに応じて減っていく。そして、意志力が減っていけば自然と自己コントロールは難しくなってしまう。(そして後述するが、意志力は鍛えることもできる!)「元気があればなんでもできる」と言ったのはアントニオ猪木だが、元気というのは使っていくうちに減っていくものなのだと。この知見こそが本書を取り上げた最大の理由である。

以上の概念を図にしてみる(本書を読んで公家画伯が思い浮かべたイメージ)

ヘタクソな図解で申し訳ないが、この図が本書の要諦である。
まずはこれを頭に叩き込んでほしい。

われわれの意志力は、
1、思考のコントロール
2、感情のコントロール
3、衝動のコントロール
4、パフォーマンスのコントロール
この4つによって消費される。自分の意にそまない娯楽にふけることでも消耗する。自分が本当はやりたくないこと―テキーラ一気飲み、セックス、喫煙―を自分に強いると、意志の力は減る。また決定を下すことによっても意志力は減っていく。

特筆すべきは、あらゆるコントロールに用いられる意志力のリソースは一つであるということ。つまりコントロールの用途に応じてプールが何個もあるわけではない。われわれはひとつのプールの中のリソースを、さまざまなコントロールのために配分していかなければならないのである。ここから得られる教訓は、『目標はひとつに絞るのがよい』である。

 

要約2:グルコースを摂取すると意志力が維持できる

意志力にはもとになっているエネルギーがある。グルコース(つまりブドウ糖)を摂取すると有意で意志力が上昇するという実験結果が出たのである。グルコースというのは食べ物が胃腸で消化されることで作り出されて血液中に取り込まれ、体全体に運ばれる。筋肉はもちろん、心臓や肝臓、免疫システムが働くにもグルコースは必要だ。また脳の細胞が信号を送るのに必要な神経伝達物質もグルコースから作られるため、グルコースが足りてないなら思考することもできなくなってしまう。いわば身体活動の全ての源である。

そういうわけで自分をコントロールするのにもグルコースの摂取が必須であるというのは言えそうだ。だが、グリセミック指数(GI値)が高いものを選ぶと血中のグルコース濃度が急激に上下し、結果はグルコースが不足するとのこと。なので、野菜や、ナッツ類、生の果物、チーズ、魚、肉、オリーブオイルなどのGI値が低いものを摂取したほうがいいらしい。くわえて体調が悪いときは、免疫システムにグルコースを使わせることを優先せよとも言っている。つまり何もせず休めということやね。

自分の意志力リソースが減少していることを自覚するのは難しい。
だがわかりやすい減少のサインがあるとのこと。

それは反応の敏感さである。意志力が減少している人はすべてのことに対する反応が強くなったそうだ。意志力が消耗した人は、そうでない人に比べて、悲しい映画を見るとより悲しく感じ、楽しい絵を見るとより楽しい気持ちになり、物騒な絵を見るとより恐怖を感じて動揺し、詰めち氷水をより苦痛に感じたという。またふだんより不満を強く感じ、あとで後悔するようなことを言ってしまったりする。ある特定の症状を探すのではなく、全般的に感情を強烈に感じないか注意するべきだと著者は言っている。

 

要約3:意志力は訓練によって鍛えることができる

そもそも意志力には2種類の強さがあると著者は言う。パワーとスタミナである。パワーとは意志力の総量、つまりプールの大きさのこと、スタミナとは消耗に耐える力のこと。

本書ではパワーの鍛え方については書かれていないが、スタミナを手っ取り早く鍛えるためのタスクについてはいくつかの提案がされている。

たとえば、できるだけ背筋を伸ばすことをいつも意識してみる。
たとえば、ふだん何気なくしている作業を、利き手ではないほうの手でやってみる。
たとえば、自分の話し方を変えてみる。「みたいな」とか「~てゆうか」といった言葉を繰り返すのはやめるといったことを意識してみる。

などなど。こういったタスクを2週間続けるだけでも、意志力のスタミナはつくとのこと。特筆すべきは、訓練したタスク以外の行為における消耗の減り具合も少なくなるということだ。

特定の訓練をすることで、一般的な意志力は鍛えられるということである。

 

要約4:長期的な自己コントロールでは意志力を使わず習慣化する

もっと長期的に安定した意志力を維持するのはさらに難しい。2週間を超えて上記のようなタスクを続けるスタミナを維持するには別種の力が必要になる。それこそが『モチベーション』であると本書では書いてあるのだが、モチベーションとは何なのかについての説明は実はされていない。かわりに本書では、極限の状態におかれることを余儀なくされたとある探検家が正気を保って目標を達成したときのプロセスに着目している。

私は厳かにゆるぎない誓いを立てた。生きる望みがほとんどないときでも守るべき誓い。それは自らの決意を破る誘惑に屈しないこと、捜索は決してやめないこと。生きたリビングストン、あるいは彼の遺体を見つけるまで…どんな人間も、どんな人間たちも私を止められない。行く手をふさぐのはただ死のみ。しかし死でさえも。私は死なない。死ぬつもりはない。死ぬわけにはいかないのだ(P.193)

探検家はこういう誓いをことあるごとに日記に記し続けていたらしい。これは「プリコミットメント」というテクニックである。こういう誓いを立てれば自動的に自分の意志を貫徹できるようになるわけではもちろんない。未来にはどんな過酷な状況が待っているのかもわからないのだから。ただことあるごとに書くという行為を通じて「正しい道しか進まない」ようにこまめに自らを拘束していたのだろう。定期的な断固たる決意表明というやつである。

それからこの探検家は、過酷な環境の中でも毎日必ずひげを剃っていたという。過酷な環境ではひとつひとつの行動に極度のストレスを感じる。つまり意志力の残高は限りなく少ない状態である。しかし驚くべきことに「髭剃り」のような規律を重んじる習慣は結果的には長期的な自己コントロール能力を高める。脳の自動操縦機能にスイッチが入るようになって、エネルギーをあまり必要としなくなるからである。別にそれが「髭剃り」である必要はない。何かしらのちょっとした意志力を要する行動を毎日継続する。最初のうちは意志力が必要でも、いったん習慣になってしまうと、ほとんど無意識に行動するようになり、そのうち意志力は必要なくなるということらしい。

こうやって見てみると、長期的な意志力を維持して目標を達成するためには、あの手この手を使ってさまざま多重な仕掛けを自分に施すことが大事なのだというのがわかる。片手間にはできることではない。ちなみに自己コントロールに必要なそういった要素が最も含まれているシステムは宗教とその戒律だとのこと。どおりで人々から宗教が必要とされるわけや。

 

要約5:衝動のコントロール

8章と9章は衝動のコントロールについて。『アルコール依存症の克服』と『ダイエット』という人々が苦戦している実際上の問題についてまるまる一章ずつを割いていて個人的には非常に興味深かった。蛇足ながら、いくつかの知見を箇条書きにしておく。

・「絶対やめる」ではなく「後でやろう」と思うとやめられる。
(ナンパの誘導でもよく使う)

・「やらないこと」の明確な一線を引いておくと衝動をコントロールしやすい。

・やるべきことをやっていなくても「代わりのことをやらない」と決めることには意味がある。

 

 

読後の感想

微妙に読みづらくて全体を把握するために何度か読み直すことを強いられたが、意志力についての話題を満遍なく網羅してくれていて全体的にはいいなと思った。どの章もある程度独立して読むことができて面白い知見が書かれている。

ちなみに3章から6章にかけては、王道の行動マネジメントについて書かれている。目標を達成するためにはどうすればいいのかというやつである。知見をいくつか箇条書きでシェアしておこう。

・目標はひとつに絞るのがよい。たとえば新年の抱負のリストなどは作ってはいけない。

・目標達成のための「やるべきリスト」は作るだけでも効果がある。

・ひとつひとつのアクションを決定するという行為は意志力を消耗する。

・意志力が消耗すると妥協した決定をしてしまう。

・自分のアクションを数値化して監視すると自己コントロールが高まる。

・それを公開できるなら、さらに自己コントロールは高まる。

・挫折を感じた時に脳は多大なストレスを受けるっぽいので云々(これどっかで読んだけど失念した)

 

ぼくは実はこの目標達成のマインドをもって何かを取り組んだという経験が実はこれまでに一度もなかった。受験は適当にこなしたし、就活は華麗にスルーしたし、ナンパは気合で取り組んだ。そもそもぼくは自分の未来のことをうまくイメージすることがどうしてもできない。本書によるとドラッグ中毒の患者にはそういう「短視野的な」傾向が多いらしいけど笑。きわめてナンパ師らしいとも言える。当然ながら自己コントロール力は著しく低い。服装はだらしなく、整理整頓は苦手で、金銭感覚も壊れている。学生のときは毎日定時に登校することすらできなかった。恋愛道場の執筆もストレスの回避からいつも後回しになっていて、月末の限られた時間で気合を入れてなんとかギリギリ乗り切っている。ナンパはといえば地蔵の頃は強迫的な妄想に憑りつかれて一点集中的な意志力で毎晩街に出ていた。

つまりぼくはこれまで、一点集中短期型の取り組みですべてを乗り切ってきたのだと思われる。こういうやり方はえげつないストレスを身体に引き受けるのと引き換えに、短期的には驚くべきほどのパフォーマンスを発揮する。苦悶の中で集中力のスイッチが入ったときというのはえも言えぬほど強烈な快感がある。しかし一点集中の手法に繰り返し頼っていると生活のリズムが間違いなく躁鬱になっていく。そして度を超えると自分の身を滅ぼすことにもなりかねない。長期的にそういった負荷のかけ方をして行動を強制していたらそれらは習慣になるのかと思いきや、なんと中毒になってしまう。自分で自分がコントロールできなくなるのである。そういうタイプの人間が以前書いたのが『集中力を高めるメソッド』であるので、そのへん適当に割り引いて読んでもらうのがいい。

 

ナンパに関して言うなら、そもそも他人と話すというのは多大なストレスを伴う意志力を消耗する行為である。気が向かなくて当然なのだ。ましてや相手に対してポジティブなイメージを持てないならストレスの度合いはより高くなるだろう。消耗したくないのなら、街になど繰り出さず自分の家でひとりボーっとしているのが一番いい。「声をかける」とか「アポを入れる」なんてのはつまり「ストレスに耐える」ということに等しい。ぼく自身は自分の意志力リソースをナンパに全振りしてきたような人間だけど、それはぼくがナンパ以外にすることがないくらい暇で空虚な人間だったからできたことで、他にやらなくちゃいけないことがある人たちには、本書のような意志力リソースのマネジメントというが本格的に重要になってくるんじゃないかと思う。ちょっと前のリスナーレポートでは『習慣化地蔵克服法』を掲載したが、あれは行動マネジメントの手法に的確にのっとっていて非常に合理的で健全な方法論だったなと思う。

金であれ、寿命であれ、意志力であれ、自分の持っているリソースというのは限られたものなのだと心の底から認識すること。その認識にさえ到達できたならば、たぶんだけど自己マネジメントは容易い。そういう認識こそが全てを支えるモチベーションの源泉になるのに違いないという確信がある。そしてぼくはまだそういう認識に至っていないんだろう。もしぼくがこれからの将来にこういった健全な自己マネジメントができるようになったならば、それってかなり価値のあることなんじゃないだろうかと思っている。