【24号書評】<7350字>田中角栄のカネの使い方

公家シンジ
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前回の女の話に引き続き、今回は角栄のカネにまつわるエピソードを紹介したい。
ちなみにぼくは女に関しては多少の心得はあるが、カネに関しては門外漢もいいところで、家族どころか自身を回すことでも精一杯の身である。
そういう人間が、かつて国家を回していた人間の経済感覚を学ぼうとしている。

御託はともかく、まずは角栄のマネー観に注目したい。
彼は一体カネというものをどのように捉えていたのか。

 

カネは燃料である

「池田、佐藤は京大、東大だ。財界の連中もだいたい、そうだ。みんな先輩、後輩、身内の仲間なんだ。オレは小学校出身だ。ひがみじゃないが、オレは彼らに頭を下げて、おめおめとカネをもらいに行く気はない。オレが大将になって、向こうが蒸留水を送るというなら、それでいい」

「政治にカネがかかるのは事実だ。酢だ、コンニャクだと、理屈をこねてもはじまらない。池田や佐藤にしても、危ない橋を渡ってきた。世の中、きれいごとだけではすまないんだ。必要なカネは、オレが血の小便を流しても、自分の才覚で作る。君たちはオレのカネを使い、仕事に活かしてくれれば、それでよい」

ここから読み取れるのは、彼は「必要な力を行使して事を為す」という目的のためにこそカネを必要としていたのだという至極当たり前のことである。
選挙に勝つため。
派閥をつくるため。
法案を通すため。
相手に動いてもらうため。
こういった明確な目的があったからこそ、カネの使い方が非常にきっぱりしていたのだろう。

対して、われわれの大半は政治家でも事業家でもないので、力を行使するためにカネを使うという発想には慣れていない。われわれはだいたいただメシを食ったり、快適に過ごしたり、ちやほやされたり、暇をつぶしたりという目的のためにカネを使っている。消費である。あるいはサウザー氏の言を借りるなら、労働力再生産のための投資であるとも言える。

また、この「蒸留水」という喩えが非常に良い。蒸留水というのは「影響力が行使されないカネ」という意味だろうと思う。カネを受け取るということは借りをつくるということなのだ。
ここに彼のマネー観を垣間見ることができる。

ちなみに角栄が初めて衆院選に立候補した時、地方の名士から「15万円だけお金を出してくれ。任せてくれたら当選させてやる」と言われてそれを真に受けて全て任せていたら落選してしまった。というエピソードがある。
つまり、お金というのはただ出すだけでは何の力にもならないということなのである。力が行使できないならば、相手に出した金はすべて無駄金になる。それはエンジンの搭載していない車に給油するようなものだ。

 

イイ関係を築く

それ以降、角栄はとにかくエンジンについて研究したようである。
人間社会にとってのエンジンというのは、もちろん人である。
つまり「人を動かす」ためのお金の使い方を彼は学んだのだと思う。

たとえば彼は幼い頃に母フメから「カネを貸した人の名前は忘れても、借りた人の名前は絶対に忘れてはならない」と教わったらしい。また若かりし頃に雇われの身だった角栄は、輸入した高級カットグラス製品を自転車で運搬していた時に、カーブを曲がり切れず転倒しグラスを粉々にしてしまったことがあったが、社長は弁償を請求せず「怪我がなくてよかった」で済ましてくれたらしい。

「(社長の)五味原さんから”寛容”ということを学んだ。誰にも不注意による過失はある。以後、自分でもこうしたことは絶対にとがめずの原則、処世訓を身につけることができた

こういった数々のエピソードからもわかるとおり、角栄は短絡的な経済功利主義者ではない。
金銭的には多少の損はしても相手とイイ関係が築けるならばそれでよしとしたのに違いない。
「相手の力を引き出す」という目的が最優先事項としてあり、そのために「イイ関係を築く」という道筋があり、カネはその手段という発想だったのだろう。

 

カネを渡すときの心配り

カネを受けとって動く人の気持ちにも角栄は細心の注意を払った。
以下は「カネを渡す」秘書に対するアドバイスである。

「お前がこれから会う相手は、大半が善人だ。こういう連中が一番つらい、切ない気持ちになるのは、他人から金を借りるときだ。それから、金を受け取る、もらうときだ」

「だから、この金は、心して渡せ。ほら、くれてやる。ポン。なんていう気持ちが、お前に露かけらほどもあれば、相手もすぐわかる。それでは百万円の金を渡しても、一銭の値打ちもない。届けるお前が土下座しろ」

カネを必要としている人間は必ず苦境に立っている。たとえば今のネット時代では、集客をするときは上から目線でドヤってアテンションを集めるというのが基本的なお作法なのかもしれないが、どれだけ威勢のいいことを言っていても、お金を集めるというのは実はツラいことなのである。もしあなたがこのあたりの心理を見逃して相手に腹を立てたり見下したりしてしまうと、カネを必要とする人間とイイ関係が築けなくなってしまう。イイ関係が築けないなら、相手に協力を仰ぐことは難しい。

以下は諸々の場面でカネを渡すときの角栄の指示である。

「これから渡すときの口上を教えてやる」

「選挙資金は潤沢だと思いますが・・・そんな奴はいないが、せめてもの礼儀だ。枕言葉だ。まず、そう切り出せ。そして、潤沢だと思いますが、枉げてお納め願いたい。ほかは知らず、あなただけは、ナマ爪をはがしても当選していただきたい。党のため、国家のためである。不足の場合、電話一本いただければ、ただちに追加分を持って参上する。以上、あるじ田中角栄の口上である。お前、そう言え」

これは選挙活動をするために必要なお金を田中派の代議士たちに、角栄の秘書の著者が渡しに行くときのエピソードである。しっかりと「言い訳」を駆使した説得を心得ている。「言い訳」の重要性については前号にメルマガでも書いたとおりだ。

 

「お前も今後、いろんなところで、人様にチップをあげることになる。千円のピン札をいつでも用意しておきなさい。大蔵省にはピン札がたくさんある。人に金を渡すときは、いつでもピン札で渡せ。ヨレヨレの札はやるな。折り方を教えてやる」

「カネはハダカで渡すな。失礼になる。必ず祝儀袋に入れろ。チップは千円、三千円、五千円の三通りだ。二千円、四千円はやめなさい。袋は小さな奴にしろ。大きい袋にわずかしか入っていないのでは、もらってもありがたみがない。人間とは、そうしたもんだ」

「どんな人に千円やるか、三千円、五千円の相手は誰か。一ヶ月くらい、オレのやり方を見ていて、覚えなさい。見当違いの額を渡されたんでは、相手だって困る。逆にね、なんだ、これっぽっち、バカにするな、というのでもダメだ。まあ、見てたらわかる。その都度、教えてやる」

「いちばん面倒なのは、よそに行って、送り迎えの運転手にチップを渡すときだ(中略)チップはお礼の気持ち、好意を先方に示すものだ。他人にわからないように示してこそ、好意は生きる。車の中にはオレ、お前、SP(護衛官)がいる。お前がうしろから渡せば、オレが見ている。SPも、すぐわかる。それでは相手も受け取りにくい。好意にならないんだ(中略)目的地に着く。SPがパッと降りて、オレのドアを開ける。向こうには、迎えの人たちがたくさん来ている。オレたちはサッサといく。あとから、降りたお前のドアを運転手が閉める。把手から手が離れる瞬間、下からチップを滑り込ませる。誰も見ていない。そこは死角だ」

チップの渡し方について。これは政治家のような大衆の支持を必要とする人たち特有のノウハウだとは思うが、面白いので書いておく。小銭を出すことで相手の好感を買おうとしているのだが、やはりカネを受け取る側の立場をしっかりと汲み取っている。

話は少し逸れるけれど、このように角栄の指示はいつもとにかく具体的である。
これは個々の状況をひとつひとつ乗り越えてきた人だからこそ言えることだ。
抽象的な指示しか出せない人は、実際に経験してきた人ではないと思って間違いない。

 

カネで人の心を掴む

全ての人は生活したり事業していくためにカネを必要とする。それゆえカネを出すことである種の貸しを作って相手からの協力を仰ぎやすくすることができるのだが、それとは別にもっと攻めたカネ使い方もある。「何かを演出して相手の心を掴む」ために角栄は存分にカネを使ったのである。サプライズで相手を喜ばせたり、冠婚葬祭にカネをかけたり。
当時秘書だった著者の父が死んだ時、角栄が著者に指示を出すときのエピソードがめちゃアツいので、少々長くなるがこれを引用したい。

「百万円ある。葬式はカネがかかるよ。とりあえず、これでやれ。あとで総理、ほかの連中からも集めて、誰かに届けさせる。通夜は今晩だな」

「よし。これを持って、すぐ帰れ。飛行機の手配はしたのか」

「いいか。世の中というのはね、何をもって二代目を一人前に見るかと言えば、それは葬式だ。おやじの葬式を倅がキチンと取り仕切れるか、それを見て、判断する。葬儀委員長の人選を誤るな。国許の誰もが納得するひとになってもらいなさい。自分勝手にやるな」

「葬式というのは、人間の一生のけじめだ。お前のおやじは商人だから、オレたちの世界とは違うかもしれないが、弔辞は、やはり、読んでもらえ。おやじは苦労人らしいから、一緒に汗を流してきた友だちもいるだろう。そういう人に弔辞を読んでもらいなさい。葬儀委員長が、そういう仲間なら、彼にやってもらうのが一番だ。
そりゃ、素人だから、お前のようには文章は書けまい。表現も下手かもしれない。しかし、お前もわからないおやじの足跡を知ってるはずだ。そういう人は嘘を書かない。言葉はつたなくても、本当のこと、心情を精一杯に書くだろう。それを書いて、読んでもらえ。あまりひどいところがあったら、そこだけ、お前が手を入れたらいい。おふくろは達者か」

「結構だ。おふくろの言うことをよく聞いて、葬儀委員長、弔辞のほうを決めろ。焼香の順番を間違えるなよ。血のつながり、商売のつながり、おやじは誰に世話になったか、極楽トンボのお前にはわからなくても、おふくろに聞けば、全部、知ってるはずだ」

「坊主は総揚げにしろ。出すものさえ出せば、寺は盛大にやってくれる。親父を極楽に送り出すんだ。一文惜しみをするんじゃない」

「函館はいま、寒いだろう。だいたい、人間というのは、暑い盛りとか、寒い時に死ぬもんだ。年寄りは冬、通夜とか葬式に来て、そこでカゼを引くのが多い。カゼが引き金になって、死んでしまうのも、けっこう、いるんだ。だから、寺が火事になるくらい、炭火をたけ。しかし、みんなガス中毒になってもいけない。天窓、襖、ガラス戸、要所要所は、ちゃんと開けて、空気の流通にも気を配ることだ」

「葬式のあと、みんなにメシを食わせるときも、ひっくり返るほど、ごちそうしてやれ。座布団にすわる順番、序列、さっきも言ったけど、これを間違えるな。花もワンサカ届けてやる。葬式の女客は、帰りにそいつをドンと持って帰る。包む古新聞をたくさん、用意することだ」

「それをやってのけて、お前も一人前になる。早く行け」

諸々の指示が細かい。葬式ルーティンである。
こんなん惚れるでしょ。
このようにして角栄は、海ほど深い忠誠心を持った家来たちを次々と獲得していったのである。

 

われわれは角栄からいかに学ぶのか

御覧のとおり、角栄のカネにまつわるエピソードはめちゃくちゃ面白い。ぼくも調子に乗ってツラツラとこうやって紹介してきたわけだが、そもそも今のわれわれが彼のカネの使い方の中から参考にできることはあるのだろうか。

というのも第一に、「こんなのはぜんぶ資金が潤沢にあるからできることだろ」という至極もっともな意見がある。たしかに経済とは循環するべきものであり、「カネの使い方」だけでなく「カネの集め方」までまとめて理解しないと片手落ちの感は否めない。そして角栄はその「カネの集め方」を人々から糾弾されて政治の表舞台から消え去ったのである。

さらに言うと、そもそも角栄の経済はわれわれのそれとは圧倒的に規模が違う。われわれの大半はせいぜい「家族の運営」くらいの経済規模であるのに対して、角栄は「国家の運営」をやってたわけだ。彼の名言のひとつに、

「頂上を極めるためには、敵を減らす。自分にとって好意を持ってくれる広大な中間地帯を作り上げる。これがどうしても必要だ」

こういうものがあるが、これなんぞは帝王学の教えであって、庶民が自らの経済を回すにおいては、むしろ「敵は作ったほうがいい」のではないかとすら思われる。みんな敵をつくることを恐れるあまり、深い関係を築けるような味方を作らないからである。

 

最後に時代が違うというのがある。今の時代、われわれの生活水準はすでに概ね高く安定していて、昭和の時代にくらべて、これ以上発展させるものははるかに少ないのである。自分がお金を使ってもそれが巡り巡って返ってこないかもしれないと思うと財布の紐は自然とキツくなる。循環の輪から取り残されるかもしれないという不安は大きい。また、活きるお金の使い方、つまり何かに投資をするときでも、人々は気休めのように平均リターンやボラティリティを算出しては損得を抜け目なく定量的に判断しようとしている。

流星氏にしても今の時代はちょっと生きづらそうである。彼は自分が持っているものをどんどん放出している。カネはもちろんのこと、情報や知識、それからエネルギーなども周りの人間に与え続けている。そういった彼の姿勢に影響を受けて、周りの人たちにも「与える」姿勢が少しずつ浸透してきてはいるが、これなんぞはかなり長期的な視点に立った教育事業である。短期的にみると、彼が与えているものにくらべて彼が受け取っているものはまだまだ少ないようにぼくは感じる。いつぞや彼は「トータルで見てちょっと損するくらいに思っておくのがいい」と言っていたが、それが今の時代を端的に表しているのかもしれない。

 

ちなみに角栄の成し遂げた政治的偉業のひとつに「日中国交の正常化」がある。
彼は日本と中国が大々的にカネのやりとりをする未来の絵を描いたのである。

ああだこうだ言うバカがいても、わがほうは五十億ドル、百億ドルぐらい中国に無利息、あるとき払いの催促なしで貸したっていいんだ。その金で中国は、鉄道を敷く。港を広げ、深くする。道路をつくる。ダム、発電所をつくる。そうやって国力をつけてもらって、日本からテレビを何百万台、何千万台でも買ってもらいたい。

これはぼくにはちょっと想像もできないようなスケールだし、めちゃくちゃどんぶり勘定で笑うしかないのだが、注目すべき点がひとつあって、それは、彼は首相になって真っ先にこの事業に取り組んだということである。というのも、中国の国家指導者であるところの毛沢東や周恩来が死んでしまわないうちにどうしてもやりとげておきたかったのだそうだ。彼いわく、創業者というのは苦労してきているので腹を割って話しやすい。これが二代目三代目になってくると理屈っぽくなり数字で判断するようになってくるので、国交の正常化のような大事業はなかなかできないのだそう。独特の嗅覚である。こういう物事を起こすタイミングを研ぎ澄ますことは、不況である現在のほうが特に必要なことではなかろうか。

 

本の紹介

最後にぼくが読んだ本を簡単に紹介する。
田中角栄という人物に興味がわいてさらに知りたいと思った人は参考にしてみてほしい。

 

  • 田中角栄100の言葉 ~日本人に贈る人生と仕事の心得 

田中角栄の名言には力があってなぜか元気が出る。これに匹敵するのはたぶん岡本太郎くらいではなかろうか。くわえてどの言葉も含蓄に富んでいて薄っぺらさがない。言葉にその人自身が宿っている。角栄入門にはもってこいである。

 

  • 大宰相(さいとうたかを)

漫画で日本の戦後政治史を概観するにはこのシリーズ。ゴルゴ13でおなじみのさいとうたかを先生の作画である。当時の社会情勢を交えながら、歴代の首相にフォーカスを当てて描かれている。これは第1巻だけど角栄が主役なのは第5巻だったかな。
ちなみに原作の小説のほうはもっと面白いらしい。

 

  • 天才(石原慎太郎)

100万部近く売れた超絶ベストセラー。石原慎太郎が角栄に一人称で自分の人生を語らせている。自伝の形をとった小説。石原慎太郎という雲の上の人物が、同じく雲の上の角栄に思いを寄せて描いているという構図なので、ぼくにはまだいまいち本書の真価がわからなかった。

 

  • 田中角栄  頂点をきわめた男の物語(早坂茂三)
  • 田中角栄とその時代 (早坂茂三)

身内による角栄本2冊。特に後者はかなりオススメ。あえて引用はしないけど、序文から芥川龍之介の言を引用をしたりしていてこれが震えるんだな。今回のエントリーの大半はこちらの本から引用させてもらった。
秘書として角栄と四六時中行動を共にしていた著者が角栄や周りの政治家たちの人となりを絶妙のタッチで描く。ちなみに著者は青春時代を共産党の活動に費やしていた。当時にはよくあるタイプの若者であった。それが角栄という保守本流の男と出会い魅せられていく様がアツい。体制と反体制、メインカルチャーとサブカルチャー、JOCKSとNERD、なんでもいいけどこういう対立するもの同士が出会い、一方が他方に取り込まれ成長していく過程というのが個人的にはとても好きなのである。

 

  • 私の田中角栄日記(佐藤昭子)

これまた身内による角栄本である。愛人&秘書の著者が日々綴っていた日記に補足をつけたしたもの。角栄の知られざる一面が垣間見える。田中真紀子が書いた角栄本は「ええかっこしい」全開で資料としてはゴミクズだと感じたので読まなかったのだが、こちらはわりと正直に綴られているように感じた。だけどところどころでやっぱり嘘もある。と思う。

 

  • 角栄一代(小林吉弥)

オーソドックスな角栄伝。政治家としての角栄を、役職ごとに分けて描いている。角栄にはかなり好意的な評価。今回はこの本からの引用も多かった気がする。

 

・角栄研究全記録 上(立花隆)
・政治と情念(立花隆)

前者は「角栄の金権政治」を暴きたてた話題の1冊。角栄の「金の集め方」を徹底的に検証している。妥当なアプローチだとは思うが、著者の立花氏の斜に構えた学者のような態度がなんとも鼻につくんだな。
後者は娘の田中真紀子研究である。こちらはめっぽう面白かった。

 

  • 田中角栄 政治家の条件(小室直樹)

政治家としての田中角栄の功績を社会科学の枠組みの中で評価した本。