【22号書評】<7420字>発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術(借金玉)

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今回は発達障害について書く。ぼくが発達障害に興味を持ったのはとある講習生と出会ってからである。彼は障碍者手帳を持っていた。実家暮らしでなにかの施設で労働しながら自立なんてとてもできないようなお金を得て生活していた。それがなにかのきっかけでナンパに興味を持ったらしく、毎日ものすごい勢いでアニメイトに通い、店内や店前で無差別に(女なら老若問わず本当に誰でも)鬼のような声かけをしてトラブルになったりならなかったりを繰り返していた。

外見はパッと見で明らかに奇妙な雰囲気を醸し出しており、アトピーによって眉毛がほぼ抜け落ちていた。服装といえば盲人がコーディネートしたってもうちょっとマシになるんじゃねえかというようなダサさだった。待ち合わせ場所で挨拶をしたときに、彼の声が底抜けて高いことに気が付いた。その後もカフェで彼はいろんなことを話してくれたのだが、とてつもない早口で、ぼくの印象は、なんていえばいいんだろう、つかみどころがないと言えばいいだろうか。彼からは間違いなく性欲の蠢きは感じた。だがそれだけである。それ以外のものをぼくはキャッチすることができなかった。彼の無数の言葉の散弾の多くはぼくの身体をすり抜けていき、ぼくが投げかけた言葉もあらかた彼には届かず空中に放散されたようだった。もしかしたらあの時、ぼくは何も言わずに彼のチンコをグッと掴んでニコっと微笑めばよかったのかもしれない。そうして彼にもぼくのチンコを握らせればよかったのかもしれない。だがそうはしなかった。そのあと彼の声かけの様子を見させてもらったとき、ぼくは言葉を失った。一体これは人間の動きなのか。ただひとつ確信したのは、このままだと間違いなく近いうちに彼はこの社会から疎外され追放されることになるだろうと。その日の出来事は間違いなくぼくの講習生活の転機となった。

それ以来、ぼくは発達障害に興味を持つようになる。一度そういう目線を持ってしまうと、講習生には彼ほど顕著ではないにせよ、発達障害気味の人間が多くいるということがわかってきた。彼らは一体どういう感じ方、認識の仕方をするのか。彼らとはどのようにコミュニケーションをとれば円滑にいくのか。書店に行って関連書籍を物色してみた。その多くは定型発達者(いわゆる通常のひと)にむけて書かれていて、ぼくはそういう本を読んで彼らに対する指示の出し方を少しずつ学んでいった。

今回紹介する御本『発達障害のぼくが「食える人」に変わったすごい仕事術』は発達障害の著者が発達障害の読者にむけて書いているという点でぼくにとっては異例である。身近にいる人が発達障害者だったらどのように接していけばいいのかを教えてくれるような内容の本は何冊か読んだが(だいたいは医師などの専門家や、発達障害者をパートナーを持つ素人が書いていたりする)、発達障害者当人にむけて書かれた本は今まで読んだことがなかった。発達障害者にとって、定型発達者が多数を占めるこの社会は見えない罠だらけなのだろう。本書において著者の借金玉氏は、そういった定型発達社会における様々なコード(規則)を発達障害者にも理解できるような形で翻訳し、対策としての具体的な行動も示してくれている。まさに発達障害者による、発達障害者のための、定型発達社会サバイバルガイドという感じだ。これは彼のこれまでの冒険地図のようなものなのだろう。著者の借金玉氏は以下のように言う。

発達障害による困難は

①仕事
②人間関係
③日常生活

この3つにおいて現れますが、これは要するに「人生全てがキツい」ということになります。でも、逆に言うとこの3つの「普通のこと」ができるようになるだけで、少なくとも「何とか食っていける人」にはなります。

特筆すべきは、この本は何かを成し遂げるための本ではなく、何とか食っていくための本であるということ。「攻撃の書物」ではなく「防御の書物」を銘打っているという一点をもってしても非常に現実的であるように思った。最近は恋愛道場のリスナーレポートでもADHDについて少し触れたが、ここでは発達障害傾向のあるリスナーにむけて、主に②の人間関係の章をとりあげて紹介したいと思う。

 

内容紹介

HACK 14 部族の祭礼「飲み会」は喋らず乗り切れ

まずはぼくがゲラゲラ笑いながら読んだ部分から。会社の飲み会の乗り切り方についてである。本人はいたって真面目に書いてるし、読者もいたって真面目に読むんだろうけど。個人的にはこのパートが読み終わった後も一番印象に残っていた。

我々発達障害者の人間にとって最も重要なこと。それは、「喋るな、喋らせろ」ということです。もちろん、質問をされたり話題を振られたりしたときは返す必要はあります。しかし、それもなるべく簡潔を旨としたほうがいいでしょう。

我々は往々にして極端に喋れない、あるいは延々と喋り続ける、衝動性に任せて喋るべきではないことを喋る、そういうことが起こりがちです。しかも、アルコールまで入っています。飲み会の解放的な雰囲気もあるかもしれません。事故が起こる要因が全て揃っています。

ちなみにADHDの友人も合コンは非常に苦手だと言っていた。場の皆でひとつの話題を共有しているようなときに、どのタイミングでその会話に入っていけばいいのか全くわからないらしい。今まで何度も不用意な発言をぶっこんで場を凍り付かせたことがあるのでそういう場自体が怖くなっていると言っていた。皆で楽しそうに飛んでいる大縄跳びに入っていくタイミングがわからずずっと足踏みしている少年のような感じだろうか。ちなみに本書は次のように続いていく。

飲み会の場は、人間同士が値踏みし合う場だと認識しておくのが正解です。逆に、稼げる評価はここで稼いでおきましょう。飲み会の話題で鉄板なのは、「誰かにお礼を言う話」と「誰かを称賛する話」です。量を飲む必要はありませんが、美味しそうに飲み、食べることを心がけましょう。楽しいフリをしましょう。そして、飲み会が終わったら「本日はありがとうございました。とても楽しかったです」と言いましょう。

発達障害者にとっては解析が到底困難な定型発達社会におけるコミュニケーションコードを、著者である借金玉氏が彼独自のキャッチ―なメタファーでもって、発達障害者にとっても明解なコードに逐一翻訳してくれるのが本書の特徴である。

ちなみに前述のADHDの友人は「職場での飲み会」は本書と同じようにこなすと言っていたが、オフ会などのように非定期的に開催される趣味つながりの飲み会などにはなるべく参加してきたと言っていた。こういう飲み会は万が一大きな粗相をしても関係を切断すればいいだけなので、比較的気が楽らしい。飲み会武者修行をして失敗を繰り返しながら、定型発達社会において必要なコミュニケーションコードを身につけていったとのこと。なんというか発想がナンパっぽい。

しかしその友人はこうも言っていた。いわく、異性との出会いは合コンではなく出会い系アプリがこれまで非常に役立ったと。1対1だと粗相を多めに見てくれる優しい人も多いらしく、コミュニケーションをとりやすいのだそうだ。つまりは相手の厚意に甘えやすいのだろう。そういうわけで、「こいつナンパに完全に向いてるんじゃねえか」と思って勧めてみたら、「路上で知らない女の反応にどう対応していいのかわからないのが鬼ストレス」「混乱するから絶対無理」と言って拒絶された。人によっては猛烈にハマることもあるだけに難しいものである。

 

HACK 15 部族の通過儀礼「雑談」は、ひたすら同意をリピートせよ

次は雑談の困難と対策について。「初対面の人と何を話せばいいのかわからない」と悩んでいるひと、コンピューターに命令するように他人とは決まった手順の話題で会話をしないと心が落ち着かないひとはこの章を読んでみるといい。

「雑談とは議論もしくは情報の交換であるべきだ。無内容な会話などしたくない」、こんな気持ちを持っている人は少なくないのではないでしょうか。そして、相手にいきなり強烈な話題を叩き込みコミュニケーションが断絶する。これは僕も繰り返してきた失敗です。通信を開くことに失敗しているのです。いきなり剛速球を投げすぎなんです。雑談は、基本的に「議論」でも「意見交換」でも「情報交換」でもないのです。

よく訓練された発達障害者は、あいづちが非常に洗練されていると個人的には思う。特に目上の人間から説教されているときなど、とても素直に受けている。だけど実際のところ彼らは相手の言うことなど本当は何一つ受け取ってはいない。「あいづち」や「同意」つまり「受け取っているという合図」を相手に騙して伝えるというのは、その場をうまくやり過ごすためには必須のスキルなのである。

 

笑顔は鏡の前で練習です。訓練あるのみです。目が笑えなくても口は笑えます。意識して笑おうとすると顔が引きつることもありますが、これは「笑おう」とするからです。口角を持ち上げれば自然に目尻は下がります。この顔の形を覚えて、繰り返すだけです。筋トレなんかと一緒ですね。動作を繰り返し、何度もフォームを確認することで神経系が発達する。そのような現象が表情にもあるのだと思います。

それから笑顔について。これは重要な示唆であって、表情というのは訓練によってコントロールできるものであるということを著者は断言してくれている。頼もしい。実際、ADHDの友人たちを身近で見ていると、愛想のいい笑顔を要求されるような場面ではしっかりと顔がトランスフォームして笑顔らしき造形にきっちりとなっている。定型発達社会のコードをしっかり腑に落ちる形で理解したならば、あとはひたすら身体訓練をしていくというプロセスを積むことが大事なのだろう。この身体訓練こそものすごい量のコストを必要とするに違いないのだろうが。

 

HACK 16 共感とは「苦労」と「努力」に理解を示してあげること

生活している中で、周りの人たちから共感を求められることは多々ある。それが定型発達社会のコードである。だが自分の感情が他人の感情にほとんど影響されない人たちはどのようにこの定型発達社会の「共感しろ」という要求に応えていけばいいのだろうか。

「こんなことがあって、とても辛い」とある人が言ったとします。「こんなことがあって」の部分があなたには納得がいかなかった。「それはおまえが悪いだろ」が喉元までせりあがった。もちろん、それが大事な友人で「どうしてもそれを伝える必要を感じた」なら話は別ですが、、そうでないなら「とても辛い」の部分だけに共感を返してやればいいのです。

ここでも著者は、定型発達社会における「共感」という概念を発達障害社会でのコードに分解翻訳して書いてくれている。共感とは、相手に対して理解を示すことなのだと。しかし他人を「理解」するというのは、控えめに言って「とてつもなくコストのかかること」なので、最低限相手の苦労や努力に対して理解を示すことが大事であると彼は言う。相手を理解しようとするコストの膨大さをしっかりと認識できているかで、こういった的を絞ったノウハウが身につくのだろう。

 

HACK 17 今すぐ「茶番センサー」を止めろ

いろいろなものを見ては「くだらない」「茶番だ」という印象を持ってきたのではないでしょうか。記者会見する政治家、プラカードを持って道に立つ運動家、リクルートスーツを着て就職活動をする学生、ボランティア活動をする人々…。そういうものを眺めたときに胸に湧き出してくるあのシニカルな感情、ありますよね。

なにかにくだらなさを感じてしまうと、もはやその事には入り込んでいけなくなる。他の人が熱中してやっているなら、それで自分だけが孤立してしまう。定型発達社会では、茶番であれ何であれ周りと足並みをそろえて取り組むということが求められることが多い。そういうときにこの茶番センサーはとてつもなく邪魔になってくるのである。著者はこのセンサーをオフにしろと主張する。

では、「茶番センサー」を解除し、茶番に没頭するにはどうすればいいのか。これはもう、とても簡単です。とにかく「声を出す」など身体を動かし、その上で後に引けなくなるところまで労力をぶっこめばいいんです。

ぼく個人はこの「茶番センサーの解除」こそが本書の主張の肝の部分なのではないか思っている。茶番センサーというのは、生理的嫌悪感として認識されるものである。「くだらない」と感じたものを「茶番と認識して」嫌悪してしまうと、それに取り組む気は一切失せてしまうが、究極の目的を「生き残ること」、そのためのサブ目的を「適応すること」というふうにしっかりと捉えるようになると、感情のバグのような嫌悪感になどかまってはいられなくなるのである。著者は現時点ではサバイブする覚悟を決めているのだろう。全力で嫌悪感を享受して身体ごと茶番に没頭しろと説いている。ある意味、体育会系よりも体育会系。ど真ん中の根性論である。

 

以上。他にもいろいろ紹介したいHACKはあるのだが、残りは自分で本書を読んでみてほしい。

 

 

読後の感想

まずは小さな感想から。本書にて著者は「妻」の存在をほのめかしていたが、彼はいったいどうやって奥さんを手に入れたのだろうか。そして野暮な好奇心ながら、奥さんは発達障害者なのだろうか、それとも定型発達者なのだろうか。発達障害者にとって長期の異性パートナーというのは自らのアンバランスさを補完してくれる非常に重要な存在であるはずで、その点の興味は尽きない。

ちなみにぼくのまわりにいる発達障害者たちを見まわしてみると、恋人がいる男はほとんどいない。だが言うまでもなく発達障害であっても性欲や承認欲求は存在するし、身体や精神の様々な要請から異性を求めるという点においては定型発達者と変わらない。しかし彼らの多くは異性にアプローチするということに非常なるストレスを抱えていて、その結果異性を求める気持ちが変形しストーカー化したり、抑圧された結果奇妙な性的嗜好が芽生えるということが多いみたいである。パートナーの獲得はかなり重要な局面になると思うのだが、恋愛ノウハウについては次の本を待てばいいのだろうか。

 

全体を通じて、ぼく自身は「非当事者」として、著者のこれまでの経験とノウハウの内容に軽いめまいを覚えつつも楽しんで読み切ることができた。そして、もし発達障害の若者たちがこの書籍の内容を忠実に実践したならば日常生活がかなり捗るんじゃないかと思い、試しにまわりの数人のADHDの友人にこの本を進めてみた。しかし予想に反して、ひとりは冒頭のところで「著者の自分語りが鼻につく」と言って投げ出してしまい、また残りは「あるあるだな」と言ってノウハウのページをめくって読んでいった結果どこかしらで必ず興味失い投げ出してしまった。

「もっと真剣に読めよ!」とぼくは心の中で思う。ここには研ぎ澄まされたサバイブ術が惜しみなく書かれているし、お前らにはそれが全く足りていないじゃないかと。だけどその反面こうも思う。この本はもしかしたら彼らには根本的に響かないのかもしれない、彼らにそもそも実践する気は毛頭ないのかもしれないと。

著者自身は自らの書籍を実際のところどのように評価しているのだろうか。彼は本当に同族に向けてノウハウを伝えたい一心でこの本を書いたのだろうか。ぼくの懸念をまとめるならば、著者のメッセージは発達障害者の自然な生理に反することなんじゃないかということである。彼からの一貫したメッセージは「死ぬな」「生きのびろ」である。それはつまりイコール「苦しめ」ということである。だが発達障害者は、現在の快楽に対しては貪欲に盲目に突っ込んでいく傾向にあるものの、未来の快楽のために現在の苦痛を享受するということは決定的に苦手である。来年海外に行くために貯金をしておく。セックスするためにナンパする。生きのびるために長期パートナーを獲得する戦略を立て地道にタスクを実行する。おそらくどれも苦手である。本書の第4章【依存問題】でも詳しく書かれているが、彼らはいとも簡単に快楽の依存状態に陥ってしまう。とりあえず現在の苦痛を避けるという行き当たりばったりな選択を続けた結果どうしようもなく追い込まれてしまったらそのときはさっと死ねばいい。と、どこかで高を括っていたりする。ある程度先の未来に対するリアリティがかなり朧なんじゃないだろうかとぼくは思っている。

本書のメッセージは根本的に発達障害者の自然生理に逆らうことなのではないか。それがぼくの一番大きな感想である。少なくともぼくの友人たちには「好き放題生きて、詰んだら安楽に死ね」というメッセージを伝えたほうがよっぽど腹落ちして受け取るだろう。反対に借金玉氏は「生き延びること」「苦痛を享受すること」を強く決意した人間で、その決意のうえにこそ本書のノウハウたちは活きてくる。自然生理に反する決意をした彼の存在は発達障害者の中でも際立っているように見える。彼は最後に「われわれは少しずつ発達していっている」と少々クサいことも書いていて、わずかだけどおおいなる希望をほのめかして筆を置いている。大いなる苦痛の先にわずかな発達を得るというのが、生理に反する覚悟を決めた発達障害者の辿っていく道なのだろうか。そんなことを考えながらこの文章を書いた。

 

と思ったけど、Amazonのレビューでは本書はADHDの人たちから大絶賛を受けていた。根本的にぼくの懸念は的外れなのかもしれない。