【25号書評】恋愛脳、夫婦脳(黒川伊保子)<6300字>

公家シンジ
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夫婦ほど、脳科学的に興味深い関係も珍しい。なにせ、生殖(遺伝子配合の相性)は、人としての相性に反比例する。男女は、生殖相性の良さを察知して恋に落ちるので、「激しく愛し合った二人」ほど、人間相性は最悪ということになる。

オススメの本を紹介する。
というよりかはオススメの著者と言ったほうがいいだろうか。

黒川伊保子女史である。

彼女の書いている本は、じゃっかん眉唾っぽいところも含めてすべて面白い。
、、と知ったようなことを言ったが、彼女のことを知ったのは実は今月に入ってからである。

書店をブラブラしながら面白そうな本を探していたら「恋愛脳」というフレーズが目に入ってきたから、「何言ってやがるこいつ」と思いっきり罵倒してやるつもりで手に取ってみたら、これが意外にアツいのである。ぼくは科学的根拠でガチガチに固められた窮屈さより、偏見に満ちた個人の発想の自由を愛するのかもしれない。同様のジャンル、眉唾似非科学系男女心理明解説明オバサンに竹内久美子という人がいる(恋愛工学は彼女からかなり影響を受けている)のだが、彼女ともまた一味も二味も違う。竹内せんせいの御本はただ生殖にまつわる経済合理性について視点をよりミクロにして書かれてあるだけである。

それでは黒川女史のほうは一体なにが面白いのかというと、彼女には大いなる人文の素養がある気がするのである。くわえて根っこの部分がものすごく女っぽい。恋人ととりとめのない会話を楽しんだり、占いの結果に大喜びしたり、執拗に男に褒めたり労ってもらいたがったり、女心に溢れている。それだけなら凡百の女性エッセイストに違いないのだが、なんと彼女は男心のほうも非常によく理解しているのである。一方の極からもう一方の極のことを研究しつくしている感があって大変感激してしまった。

それからもうひとつのぼくの惚れポイントは、彼女にはどうやら物事が10年単位の時間軸で見えているっぽいというところ。つまりヒトという個体が経ていく年代ごとのステージをしっかりとグリップしている。これはぼくから言わせたら孔子せんせいやエリクソンせんせいのような稀有の才能であり(預言者の才能)、ぼくには全く欠落したものである。そういうわけで至極尊敬。心底脱帽。ぼくはこのオバサンをお嫁さんにしたいと思っている(なんでやねん)

 

内容の紹介

彼女は男女の様々なすれ違いを脳構造の違いという切り口から説明する。
男性脳、女性脳というものである。

女性脳は右脳と左脳をつなぐ「脳梁」と呼ばれる配線が太い。
反対に、男性脳は「脳梁」が細い。
この脳構造の有意の差異こそが男と女の感受性や振る舞いを異なったものにしている。

たとえば、女性は右脳と左脳の連携が緊密なので、空間を2次元で捉える。方向音痴であるが、空間のスキャン(3次元を2次元で捉える)能力に長けているので探し物などがうまい。
必然的に自然と身の回りのものに興味や愛着を持つ。

男性は右脳と左脳の連携がヘタクソ(したがって右目と左目の連携も下手)なので、空間を3次元で奥行をもって捉える。
ビルや道路の設計、宇宙など、興味は外へ外へ向かう。

右脳は感じる領域をつかさどり、左脳は思考や言語の領域をつかさどる。
そういうわけで右脳と左脳が連携している女性は感じたことをぱっと言葉に表現する。
男性は感じたものをいったん寝かせて熟成させ全体像を把握してから話し始める。
などなど。

そしてこういった感受性や振る舞いの違いを抱えながらも、男女は生殖行為(子作り)において協働を余儀なくされる。
つまり若い男と女は惹かれあい愛し合う運命にある。
ワンナイトだけの関係では済まないことも多い。
子育てをするためには、男女は協働するために共に生活せねばならず、
そこで相手との生活をするにおいての相性の悪さに初めて気づくのである。
これが黒川恋愛本を理解するうえでの基本的な文脈である。

上の2冊は実際に起こりうる男女のすれちがいに関する具体的なシチュエーションをたくさん挙げることで、男女お互いの『構造的な差異』に関する理解を促すことを狙ったエッセイ集である。

なんというか「日常の男女あるある」に溢れていて読んでいてすこぶる面白い。
女ごころが全くわからないという男性は、これを読んでみるだけでだいぶすっきりするだろう。
とにかく全ての章がオススメ。

それから恋人との関係、あるいは結婚生活がうまくいかない人にもオススメしたい。ぼくの見たところ、彼らの多くはパートナーに対して被害者意識を持っていたり、あるいは自分自身の無力さや魅力の無さにへこんでしまっていたりする。

なんでオレはいつも彼女にフラれるんだろう、とか
なんでオレはあんな性悪女と結婚したんだろう、とか


それで特定のタイプの女に固執したり、特定のタイプの女を毛嫌いしたりするようになる。ぼくから言わせたらアタマが悪い。彼らは自分の主観や感情に囚われすぎていて、男女関係の構造を神通力のように見通す力が欠如しているのである。本書こそがそれの助けになるだろう。

 

読後の感想

以下はぼくの男脳がひっかかったツッコミである。完全に蛇足ではあるが、メモと整理とを兼ねてここに書いておくことにする(著者のことをくさす意図は全くない)

 

1、黒川女史は共住する男女が理解しあい歩み寄ることを意図して御本を書かれたようだが、実際はお互いが均等に協力し合って寄り添い合うようなことはないのではなかろうか。

というのも男女の関係はパワーゲームという側面も持っている。
競争と協働。
男女関係はこの相反する2種類の力が作用しあいながらなんんとかバランスを保って成立しているのであって、協働だけに目を向けたのでは片手落ちである。生活資金を全て稼いでくる男がいるならば、それに依存する女は相対的に力を失い必然男に従う柔軟性を身につけざるをえなくなる。結婚生活というのは助け合いと同時に奪い合いでもある。そういうことである。「相手に合わせる柔軟性」というのはパワーバランスの弱い方がマストに身につけるべき技術なのではないだろうか。

 

2、人にはそれぞれ好みのタイプの異性というのがあって、彼女は2冊目の『夫婦脳』のほうで生殖相性という概念を新しく導入してこれの説明を試みている。
いわく「生殖相性は免疫抗体の型が遠く離れて一致しないほど良い」らしい。
理由は、異なる免疫の組み合わせを増やすほど多様性が増え、子孫の生存可能性が上がるから。そういうダーウィン的な説明をしている。
われわれは相手のフェロモンを摂取することで異性の遺伝子情報を意識せぬまま判断している。
生殖行為(セックス)に至る前に、互いの遺伝子の生殖相性を確認している。
しかし生殖相性が免疫抗体の型によって決まるのだとしたら、あらゆるモテへの努力は本質的には無意味なのだろうか。

とか考えていたら、これについては『夫婦脳』のほうに手がかりが記されていた。
免疫抗体の型は不変ではく、7年おきに刷新されるのだそうだ(ほんとかよw)

彼女によると、人間の骨髄液は7年で入れ替わるらしい。毎日少しずつ入れ替わっているらしいのだが、まるまる入れ替わるのには7年かかるのだそう。すなわち、満7年以上前の細胞は残っていないのだそう。7年かけて生体の免疫システムも入れ替わっていく。

つまり生殖相性というのも不変ではないっぽい。免疫のことを詳しく知らないので判断むずめ。

 

3、しかしそもそも冒頭の引用、生殖相性と個体相性は反比例の関係になるということ自体いまいち納得がいかない。

生殖相性を決定するのは、遺伝子の免疫抗体の型。これは、生体としての反応の傾向を決定する。たとえば、いきなり聞き慣れない爆音が起こったら、とっさに駈けだすのか、しゃがむのか。夫婦というのは、このような無意識の反応が同じにならない組み合わせになっている。

彼女は冒頭の引用のあと上のように続けるのだが、この部分の信ぴょう性は極めて疑わしい。というのも免疫抗体の型って細胞レベルの話であって、こんな物理刺激に対する個体の反応ともリンクしたものなのかという。ちょっと解釈が飛躍しすぎではないだろうか。

 

4、彼女の主張には他にも興味深いものがある。たとえば彼女は「男だから男脳を持っているわけではなく、女だから女脳を持っているわけではない」と言う。
われわれは異性の脳機能を後天的に学習しているらしい。

これに関しては納得で、ぼく自身は先天的には完全に男脳の性質を備えた人間だが、今では女脳についていつでも一席ぶてる程度には学習し我が物としてしまった。すべてナンパという行為の賜物である。さらに彼女の主張は以下のように発展する。

女ばかりの会社の女性社長は、職場では必然的に男性脳にならざるをえない。それも、男性優位の会社の男性社長の何割増しもの男性脳機能を発揮して、女性脳たちを統率しなければならないのである。男性優位の会社の男性社長は、逆に、普通の男性より女性脳を多めに使ったりしている。

私は、女子大の出身だけれど、男性脳優位なカッコイイ女の子が多くて、私は、ずいぶん甘やかしてもらった。男性に囲まれた女子グループだと、女の子たちの女性脳が牽制しあって、こんなに居心地はよくなかったと思う。

こういう言説の根本になるロジックはこうである。
つまり、脳は、無意識のうちに、組織の中の脳の男女比を半々に保とうとするのだと。

マジですか。。

これに関しては超絶眉唾だけど、でも一考の価値がある。
むしろかなりポジティブにとらえたい。
たぶんだけど集団の運営に関しては男脳と女脳の双方の役割が必要なのだろう。
それゆえに柔軟性のある人間が調和を保つために自らを変質させるのではないだろうか。

つまり、ひとつの集団が外部の集団と調和しながら成立するためには、集団の内部要素に多様性がなくてはならず、それゆえ必然的に要素同士の相性は悪くなるという。そういうことだろう。というのがぼくの解釈するところである。

不思議なことが、ひとつある。男系の男性脳たちは、男らしいまま共存できるのに、女系の女性脳たちは威嚇しあって、全員が女らしいままでは共棲できないのである。(中略)

姉妹の中で育ち、女性優位な職場で働き、娘を持つ女たちは、女らしい外見とは裏腹に、女性脳が威嚇されていて未成熟なのである。
このため、男の真似が上手にできて、男社会で男性と伍して活躍できる。気風が良くて、カッコイイ美人社長には、このタイプが多い。
ところで、このタイプ、せっかくの超イイ女なのに、男女関係は実は苦手科目。男に甘えるのも、濃厚なセックスもごめんで、あっさり淡泊なのがお気に入り。と言いながら、ことばとプレゼントでは、多方面からちやほやしてもらいたいのである。

恋愛道場用語で言うところの「似非サバサバ」のことね。
彼女たちは実にナンパに適してる。
そしてこういうタイプでも濃厚なセックスは時間をかければ余裕で可能。

しかしたとえば以下のような記述には、反対せざるをえない。

娘を持ったとき、男たちの気配はがらりと変わる。

女性脳系に偏る家庭内で、気張って男性脳を使うようになるので、外での男らしさが、逆にまろやかになる。気配りが繊細になり、マネージメントやサービス業の男たちは、仕事が目に見えてうまくゆくようになる。

その上、男らしさに怯える女系の(姉妹の中で育った)若い女の子には、かえってモテるようになるのである。

逆に、息子だけを持つ男たちは、家庭内で男性脳が供給されているので、外で存分に少年になれる。手を付けられないが、そこがたまらない。男系の(兄弟の中で育った)オトナの女御用達の、扱いにくいけど発情できる男たちだ。

なにが問題かというと、生殖の選好と、その後の運営についてを混同している点である。
前者ような振る舞いの変化はぼくのナンパ過程で起こったことまさにそのものであるけれど、それによって女系の女たちからモテるようになったという実感はない。せいぜい相手に合わせることができるようになった程度なのである。
この点、著者も『恋愛脳』のなかのこの不備に気付いたようで、『夫婦脳』のほうではようやくフェロモンというアイデアを持ち出して事なきを得ている。

選好と運営は別の論理で動いている。
つまり誰かを好きになるというメカニズムと、好きになった相手と調和しながらうまくやっていくというメカニズムは全く別であると考えたほうが自然である。

 

5、女が発情する仕組みをこのフェロモンによってのみ説明するのはあまりにも短絡的であると、一言添えておきたい。たとえばわれわれは異性の魅力を外見でも判断するし社会的文脈でも判断する。

そんなものは常識で考えたらわかることなのだが、これについて正しく知るためにはもう少し専門的な御本を紐解かねばならない。最近出た本で面白いのがあるので、もう1冊紹介しよう。

マイケルJライアンの『動物たちのセックスアピール』である。2018年に出版されている。上述の2冊が2003年、2010年に出版されたのに比べると比較的新しい。著者は動物たちが異性に惹きつけられるメカニズムを研究している学者である。ヒトで言うと「われわれの性的な美意識がどうやって生成されるのか」である。動物行動学の学者が研究対象の動物たちから得た専門知見を人間の生殖行為にも当てはめて一説ぶってみた、というよくあるタイプの一般書なので、この手の本を読んだことのある人なら、10分もしないうちに概要を把握できるだろう。

ちなみにフェロモンに関することは6章に書かれている。免疫系はMHC(主要組織適合遺伝子複合体)と言われる遺伝子群から複製されるたんぱく質によって自己か非自己かを判断するらしい。マイケルによると、たしかに女は異性をこのMHCの遠い異性個体を選好する傾向にあるということだそうだ。近い将来、破格値の結婚相手紹介サービスはゲノムのスキャンを要求するようになり、彼らが最初に男女間で釣り合わせるのはMHC遺伝子になるだろうと著者は予測している。それほどまでに免疫の多様性というのは生存のうえで大切なことなのだろう。しかしゲノムスキャンに頼らなくてもわれわれは生殖相性をフェロモンによって無意識に判別する。冒頭の引用に関連したお話である。

この本では嗅覚以外にも、1章ごとに視覚や聴覚などを例に挙げて異性を惹きつける美が生成されていくプロセスを説明している。そしてそれがどれだけ捏造されうるのかということも。化粧や整形技術は視覚を欺くようにして発展してきたし、さらにいうと視覚は遺伝子の表現型にしか注意を払えない。つまり視覚というのは遺伝情報を正確には見抜けないものなのである。女はこういう不完全なものを手掛かりにして男に発情している。

つまり女の性的嗜好は多様で判断手段は多岐にわたるということ。
かつ股間の防御網はバグだらけ。
ナンパがセックスハックといわれる所以である。

 

6、さらに言うならば、女は積極的に発情していなくても、しっかり股を開くのである。彼女たちが押しに弱くノリに弱いと言われる所以である。ぼくなんて、個人的なことを言うようだけど、女から発情されることなんてめったにない。それでもセックスしてきたわけだから、どうだ説得力があるだろう?そもそも女の股というのは固いわけがないのである。性的に美意識を感じなくたって、生計を立てるために股を開く女がいて、男からの熱意に負けて股を開く女がいて、騒いでいるうちに楽しくなって股を開く女がいる。女から惚れられる必要など、ひとつもない。

そうやって嗅覚(フェロモン)を介さずにつがった子どもたちは疫病予防に関しては有利な遺伝子をもっていないのかもしれない。しかしそれがなんだというのか。現代の男たちは(少なくともぼくのまわりでは)、次世代の種を遺すために女の上で腰を振っているのではない。承認欲求や自尊心を満たすためにこそ必死で腰を振っているのだから。免疫の多様性なんぞ犬にでも食わせてしまえなのである。