【18号書評】<5720字>パーソナリティを科学する(ダニエル・ネトル)

公家シンジ
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今号で予告したとおり、本エントリーでは「BIG 5」という性格解析モデルについて書かれた本をとりあげる。このモデルは、『性格』という目には見えない漠然としたモノを5つの特性(外向性、神経質性、誠実性、調和性、開放性)に分解した上で、それぞれの特性にスコアをつけて個々人の性格を説明しようと試みたものだ。たとえばぼくの特性スコアは、外向性2、神経質性7、誠実性1、調和性6、開放性6で、流星氏は、外向性9、神経質性2、誠実性8、調和性3、開放性7であるといったように。BIG 5モデルにおいては、われわれの性格は皆この5次元座標のどこかの点に位置づけられる。文章で説明されてもいまいちピンとこないだろうから、まずは実際に簡単なテストをやってみるといいかもしれない。

ビックファイブ 5つの性格診断 心理テスト 短縮・簡単版 最新版

http://www.sinritest.com/bigfive01.html

このようにいくつかの簡単な質問に答えるだけで自分の性格が解析される。5つの性格特性の詳細については右の素晴らしいエントリー( http://plaisir.genxx.com/?p=226 )に任せるので、まずは最初から丁寧に読んでみてほしい。

 

さて、、これをしっかりと読んだ皆さんはおそらく次のような疑問を抱くに違いない。

このモデルって一体どこまで信ぴょう性があるの?と。

 

BIG 5 とその他の性格解析モデルの違い

BIG 5はただの性格解析ではない。そのことを示すには、まずは他の性格診断モデルを眺めてみるといい。たとえば巷には『血液型診断』というものがある。「A型の人は几帳面」「O型は大ざっぱ」に代表されるこれらの言説はとても広く人々から受け入れられている。また誕生日によって性格を分類していくような『星座占い』や『動物占い』といったものもある。これらの分類は「自分はこういう性格だ」という一種の自己暗示を与えたり、見知らぬ他人と会話を円滑に進めたりするのには役立つかもしれないけれど、その内容に信ぴょう性があるかどうかは極めて疑わしい。

(余談だけど、こういう信ぴょう性のないものがどうして広まっているかというと、たまにものすごい洞察力でいろんなことを当ててしまう占い師なんかがいるからだと思う。特に地方の農村なんかではそういう人の影響力はいまだに大きいところもある。彼らは人を診てきた経験が圧倒的に豊富で、独自のデータベースを作っている。最近だと、しいたけという占い師は「もしかしたらすごいかもしれない」とちょっと思わさせられた。(恋愛道場リスナーが音声の中で話題に出していた)カウンセラーや宗教家、ボディーワーカーの中にもまれにこういった達人がいる。しかし彼らが行う性格解析は属人的な技術(その人にしか使えないもの)であって汎用性がない。無理やりに言語化してノウハウに汎用性を持たせようとしてもたいていは失敗してできそこないの理論になってしまうことが多い。結局のところ、占いやカウンセリングが凄いのではない。人が凄いのである。余談終わり)

 

解析をある程度汎用化するためには手順がルーティン化されていることが必須である。たとえばいくつかの決められた質問に答えていくことで為される性格診断はそれに沿うだろう。BIG 5もその中のひとつだが、他にも「MBTI」や「エニアグラム」などがある。欧米では就職活動の際の職業適性を判断するのによく利用されるらしい。Tinderをやっていると意識の高そうな欧米やアジア系の女が自分のプロフィールに自分のMBTI性格類型をよく書いていたりする。

MBTI:
https://www.16personalities.com/ja

エニアグラム:
http://shining.main.jp/eniatest.html

ぼくはこの2つについては全くの無知であるが、これらがBIG 5と異なっている点は、MBTIやエニアグラムが性格の類型であるのに対して、BIG 5は性格の特性であるという点である。さらに言うと、BIG5は脳科学の知見とリンクする部分がある。そのことについてもう少し詳しく書いてみたい。

 

BIG5は画期的なモデルである

BIG 5に信ぴょう性がある根拠を3つ挙げてみよう。まず1つめは、性格を表す尺度が<類型>ではなく<特性>であるという点。類型というのは「○○タイプ」、特性というのは「○○度」という感じ。わかりづらい人のために「性格」ではなく「身体」を例に考えてみる。誰かと誰かの身体の違いを端的に表すのに一体どういった基準が有効だろうか。身長?体重?皮膚の色?性器の種類?体毛の量?血液型?脳細胞の数?いろんな基準が考えられるが、この中だと、皮膚の色、性器の種類、血液型は<類型>であり、身長、体重、体毛の量、脳細胞の数は連続的な数値をとるので<特性>である。性格に戻していうならば、「気安い」と「気難しい」に2分するよりかは、もっとグラデーションのある「気難しさ度」として捉えたほうが、実際の人々の性格の多様性をより忠実に反映していると言える。

2つ目の根拠は、BIG 5の性格特性がどれも重要な役割を果たしていて、かつお互いに独立しているということだ。むしろこれこそがBIG 5 の肝であるといって過言ではない。これもまた「身体」を例にしてみるとわかりやすい。たとえば「脳細胞の数」によっては人の身体は特徴づけられない。というわけでこれはあまり重要な尺度ではなさそうだ。反対に「身長」や「体重」は人の身体をとてもわかりやすく特徴づける尺度であると言えそうだ。しかし身長が高い人は体重も大きな傾向が顕著にある。つまり「身長」と「体重」は独立であるとは決して言えない。「身長」と「皮膚の色」にだってそれなりの相関が存在しそうである。BIG 5の5つの尺度はどれも重要で、かつ互いに独立している。そういうわけでBIG 5 の5という数字にはある程度の蓋然性(絶対性ではないことに注意)がある。この5つの特性によって、個人の性格が過不足なく説明されているということだ。

BIG 5 に信ぴょう性があるという3つ目の根拠は、脳神経科学の知見とリンクしているという点だろうか。独立した5つの特性に対応する脳の部位が存在するだろうということを心理学者たちは当初から予想していたが、今から2年ほど前に実際にそれぞれのパラメーターに対応する脳の部位が見つかったらしい。お互い異なったアプローチをとって「心」に迫っていた心理学と脳神経科学とが交差した瞬間である。

「性格を決めるヒトゲノム領域」が特定される:研究結果

https://wired.jp/2016/12/20/genes-behind-personalities/

分子生物学者は遺伝情報を解析することで、神経科学者はMRIで脳の構造を解析することで「心」という目に見えないモノを解明しようとする。心理学者も彼らと同じく「心」に近づこうとするが、彼らのアプローチ方法は科学的というよりかは、もっと職人的なアプローチだ。

科学としての心理学の仕事の大部分は、すぐれた測定を考え出すことと、その測定の優秀さを示すことの二つの柱からなっている。事実、「学問として尊敬される」心理学をそれ以外の心理学から区別するのは、この測定への関心なのだ。(P.25)

カッコいい。。

 

われわれは性格を変えることができるのか

以上 BIG 5 が画期的なモデルである理由を簡単に説明した。そうすると、皆の次の疑問はこうなるだろうか。

で結局 BIG 5って何かの役に立つの?

ぼく自身は『共感アプローチ』にハマる前は、こういった類の『分析アプローチ』にめちゃくちゃはまっていた。たとえばナンパで新しく知り合った女は、これまで自分が出会った人たちで形成された既存カテゴリーにぶち込むところから始まる。全く出会ったことがないタイプに思えたなら自分の中に新しいカテゴリーを作る。やっているうちに別々のカテゴリーが統合されて再編成されていくこともある。こういう作業は非常なる快感があった。そしてBIG 5 モデルは分析する際に非常に明解な尺度を与えてくれたのである。流星氏も今号の音声で言ってくれていたが、こういった分析をすることで自分と他人との性格の差をわかりやすい形で認識でき、その結果相手のことを許容できるようになることが一番の実際のメリットだろうか。「彼はいつもぶっきらぼうで無礼な奴だと思ってたけど、神経質性が高いんだからしょうがないよな」といったように。

逆に自分の性格特性を解析することは何か役に立つだろうか?というのも、われわれの性格特性は遺伝と幼少環境によって決定され、生涯にわたって変わることは「ほとんどない」と著者は結論づけているのだ。性格が変わらないなら解析したところで無意味ではないか?

「ついついネガティヴになってしまうのを直したい」
「いつもなにかに依存してしまう自分が嫌だ」
「どんな事も根気強く継続できないので自分は人より劣っているのかもしれない」

自分の性格に対するこういう不満を感じている人は多い。自分の身長が低いことは受け入れることはできても、性格特性は目に見えないぶん受け入れるのが難しいのだろう。『三つ子の魂百まで』という諺もある通り、性格が変わらないことなんて皆体感レベルではわかっていることかもしれないが、ぼく自身は本書を読んだとき自分がぼんやり感じていたことを著者にここまで言い切ってもらってすごく清々しい気分になったことを覚えている。

ちなみに著者は変えることができるものについても少しだが言及している。ひとつ目は「特徴的行動パターン」である。たとえば外向性が高い人は生涯ずっと高いままかもしれないが、その高い外向性によってどういう行動パターンが表出するかというのは人によって違う。そういうわけで、夜遊びを卒業して海外旅行に嵌るといったような行動レベルでの変化は起こりやすいらしい。また人というのは自分の性格特性に反するような行動をあえてとることも多い。本書ではこれを「逆スピン」行動と呼んでいる。たとえばアルコール依存になりやすい人はふだんは酒を一滴たりとも摂取しようとしなかったりするし、「徹底的にオナ禁する」のも誠実性の低さに逆らった行動であると言える。一度崩れてしまうと立ち直ることがとても困難であることが彼らにはわかっているのである。ぼく個人も自分の誠実性の低さは身に染みてわかっているから、生活のルーティンはなるべく壊したくない。個人的にはこの無意識の「逆スピン行動」ゆえに、質問形式の性格診断は正確さを失っていると思うが、自分の行動が「スピン」なのか「逆スピン」なのかがわかるようになってくると、心理テストの質問の意図も見えてきて、より正確な自己分析ができるようになるだろう。

変えることができるもののふたつ目は「主観的なライフ・ストーリー」である。全く同じ客観的出来事にも無数の異なるストーリーへの解釈が可能だ。自分の性格や感受性に関してはどうしようもないが、それをふまえて自分自身をどのように捉えるかということに関しては大きな裁量がある。本書の最終章のタイトルは「自分の声で歌え」である。多少なりともぼくが書くものを読んでくださっている方なら、このタイトルがぼくのお気に入りであるというのはわかってくださるはずだ。本書の発するポジティヴなメッセージはこうだ。自分の基本的な性格特性の傾向は今後も大きくは変わらないが、主観的なストーリーは変えることはできる。5つの性格特性のどのレベルにおいても利益と不利益があり、それゆえ大切なのは自分がたまたま受け継いだ性格特性の強みを利用し、弱点からくる影響をできるだけ小さくすることによって、実り豊かな表出を見つけ出すことなのだ。それが「自分の声で歌え」というメッセージが意味するところである。自分のことを「根暗だ」と言ってウジウジ悩んでいる人に問う。根暗というのは、BIG 5ではどういった特性スコアに還元できるだろうか。そしてその特性スコアの人はどういった適性があるだろうか。そういったようなことを知っておくために本書を読んでみるのもいいんじゃないかな。

 

今後の展望(与太話)

ちなみに最近はコンピューターの情報蓄積能力や処理能力が格段に上がってきているので、それを活用した性格診断が盛んである。たとえばIBMの人工知能WATSONがやっているツイート性格診断はBIG 5モデルをもろに利用している。

https://www.ibm.com/think/jp-ja/watson/watson-api-basics-personality-insights-1/

https://www.ibm.com/think/jp-ja/watson/watson-api-basics-personality-insights-2/

 

またFacebookの情報を利用したBIG 5の性格診断もある。

https://wired.jp/2014/06/13/five-facebook-personality/

 

今後はAIテクノロジーと心理学者たちの職人スキルの合わせ技によってこういった性格診断が研ぎ澄まされていくだろう。その結果、職業の適性や恋愛の相性に関するアドバイスなどもより精密に、より盛んになっていくはずだ。あるいはもっと王道の科学的成果としては、脳や身体の情報を直接スキャンして性格を解析することができるようになるかもしれない。アニメ『PSYCHO-PASS』のシビュラ・システムの世界である。しかしどれだけテクノロジーが進歩して人間の性格が客観的な指標でもって解明されたとしても、われわれが自分のその性格をどのように捉えるかはまた全く別の問題である。この2つをごちゃまぜにして捉えている人はとても多いが、前者が人類全体の課題であるのに対し、後者はそれぞれ個人の課題だ。ぼくの興味は一貫して後者にある。(ちなみに10号のコラムでは婚活とAIについて、また先日配信した18.5号にも似たような趣旨のことを書いたので、興味ある方はぜひ。)