【16号書評】<9310字> 職業としての小説家(村上春樹)/ 残酷すぎる成功法則(エリック・バーカー)

公家シンジ
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最近ビジネス書界隈が『グリット』なる言葉で賑わっている。書店をぶらぶらしていると様々なところで見かける聞き慣れぬ横文字、これこそが社会的成功の大きな要因なのだそうだ。グリットとは「最後までやりきる力」のことをいう。よりわかりやすく言うなれば、それは長期的な目標を達成するための情熱や根気のことだ。社会で成功をおさめるためには才能やIQ、学歴なんかよりグリットのほうが大事なのだ!おまえらグリット磨こうぜ!バンバン!(机をたたく音)っていうノリでどうやら金がガッツリ動いてるっぽい。ペンシルバニア大学の心理学教授アンジェラ・ダックワース女史がグリット理論を提唱して以来、ビジネス界隈のみならず教育の分野でも大きな反響を呼んでいて、2016年には同名の書籍も出版されベストセラーになっている。読んでみたら序文から凄かった。幼少時代から父親に「おまえは天才ではない」と吹きこまれた著者が、その呪いを解くために作り上げた概念がグリットだった。http://amzn.to/2pgLJ4S

とにかく、人文の分野ではこうやって実質上は同じものに新しいラベルを付けて再び売り出すことは頻繁に行われることだし(時代が変われば同じモノでも文脈は変わってくる)、エライ教授にいちいち言ってもらわなくても「やりきる力」が大事なことくらい誰もがなんとなく感じているはずだ。たとえば学生の時に受験を乗り切ったことがある人なら少なからず身に染みていることだろう。サインコサインの定義を知っているだけでは大学には入れない。定義を知り、定理を知り、複素数など周辺領域との関連を知り、過去問で問題の傾向を知り対策を積んで、初めて凡夫は受験の壁をぶち破りえる。同じように、ふとしたきっかけでビジネスアイデアを思いつくのは誰でもできる。しかし煩雑な手続きを乗り越えてそれを実行に移すのは難しく、様々な苦難をひとつひとつ乗り越えて事業を安定して継続させるのはさらに難しい。世の中にアーティストは多いが、自分の見ている心象風景がどれだけ美しいものであってもそれを実際に作品にしないことにはその人はアーティストにはなりえない。

 

今一番著名なMr.グリットはユーチューバーのヒカキンだろうか。彼は企画を作り動画を撮って編集し毎日欠かさず定時にアップするという生活を2011年頃から欠かさず続けている。日本でナンバー1ユーチューバーの地位を不動に確立したのは、このグリットの為せる業だと言えるかもしれない。

 

職業としての小説家 (新潮文庫)
村上 春樹
新潮社 (2016-09-28)
売り上げランキング: 6,044

イチローや村上春樹、尾田栄一郎のような怪物級の知名度を誇るMr.グリットもいる。この本は村上春樹が30年以上小説家を継続してきたその方法論が書かれている。多くの人が肩の力が抜けたようなオシャレな彼の文体や思想に惹かれこそすれ、彼のもっているグリットにはそこまで関心を払ってこなかったにちがいない。もちろん皆さん方のほとんどは小説家を目指しているわけではないだろう。そういうわけで、もしかしたらこういった本を手に取るなんて思いもよらなかったかもしれない。しかしこれこそが読書の面白い部分のひとつで、全く異分野の話が自分の従事している分野と通じることは必ずあるのだ。しかも深く突き詰めれば突き詰めるほど共通点は見いだされる。一度騙されたと思って、分野で本を選ぶのではなく1段階抽象化したテーマで本を選ぶことをやってみるといい。必ずいい出会いがある。そして今回のテーマはもちろん『物事をやりぬく』である。

ちなみに「どうすれば小説を書き続けられるか」という問いに対する村上春樹の答えは非常にシンプルで、「基礎体力を身につけること」だと言っている。毎日5時間近くひとりで机に座って意識を集中させて物語を紡いでいくというのは大変に過酷な作業である。それをやり遂げるには強靭な心と、その必然として、心を容れる強い身体が必要なのだと。そういうわけで彼は身体づくりに毎日1時間ほどのランニングを欠かさないらしい。グリットに必要なのは基礎体力だった!笑

ものを書くことを苦痛だと感じたことは一度もありません。小説が書けなくて苦労したという経験も(ありがたいことに)ありません。というか、もし楽しくないのなら、そもそも小説を書く意味なんてないだろうと考えています。苦役として小説を書くという考え方に、僕はどうしても馴染めないのです。(P.59)

 

今日はけっこう身体がきついな。あまり走りたくないな」と思うときでも、「これは僕の人生にとってとにかくやらなくちゃならないことなんだ」と自分に言い聞かせて、ほとんど理屈抜きで走りました。その文句は今でも、ぼくにとってのひとつのマントラみたいになっています。(P.191)

 

ナンパでは最後の挿入までがプロセスである。なのでセックスせずに終えるというのは、喩えるならば犯人を明らかにせずに終わってしまう推理小説のようなものだ。くわえてナンパが自己啓発として機能するためには、「セフレをキープする」「彼女を獲得する」「ブログに知見をアウトプットする」といった具体的な成果物が据えられていることが必須である。「モテる男になる」とか「心を鍛える」「世の中を知る」といった主観的な指標ではナンパ活動自体の評価があやふやなものになってしまう。ぼくのセミナーでも成果主義の大事さをを説いて、しっかりと獲得することを強く主張していた。

成果と聞いてもピンとこない人もいるかもしれない。一体なにが成果でなにが成果ではないのか。例えば、生活するお金が足りていない人ならばお金を獲得することは成果である。セックスを渇望している人は、セックスの獲得が成果である。またそういった基本的な生理欲求に留まらず、誰かに認められたいという社会的な欲求もある。例えば、スポーツをしている人ならトーナメントに優勝することは成果だし、文章を志す人なら新人賞の獲得は成果である。だいたいの成果は生理的な欲求と社会的な欲求を同時に満たしてくれるモノである。大学受験に合格すること。一流企業に内定すること。お金持ちの男性を射止めて結婚することなどは誰にとってもわかりやすい成果だろう。反対に何が成果ではないか。例えば、なにか画期的なアイデアがパッと腑に落ちること。誰かに好きだと言ってもらうこと。ずっと欲しかったものを購入すること。これらは成果ではない。わかりやすいでしょ?社会的な成果とは<試練の先にある実体のある何か>であるとも言えるかもしれない。<実体のある>というのがポイントですね。例えばとある専門分野の原書をどれだけ英語で読み込んで理解してもそれは成果にはならない。理解に実体はないからだ。実体がなければ他人はそれを認めない。とにかく、、成果が試練の先にあるのなら、これはどうやらグリットが必要になってきそうだ。

 

残酷すぎる成功法則
残酷すぎる成功法則
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飛鳥新社 (2017-10-25)
売り上げランキング: 155

こちらはエリック・バーカーの『残酷すぎる成功法則』という本だ。ジャンルでいうと自己啓発本には違いないのだが、よくありがちなカリスマ著者のオラオラ人生論ではなく、実証的な根拠に基づいた内容であることが売りにされている。実証的というのはつまりいろんな過去データを根拠として引っ張ってきて説得力を高めようとする方針のことだ。ほら、データがおれの主張の正しさを示してるだろ?(ドヤ)という。しかしデータ実証的であることを売りにしながらも、歴史上の偉人の主張やエピソードなど人文知を引き合いに説得しようとしてくることも多く、そういうところに著者のバランス感覚の鋭さを感じた。 

著者はもともとは一介のブロガーである。世の中には俗流の成功論に溢れているが本当に社会的に成功する要因は一体何なのか?彼はこれを見極めようとしていろんな成功者にインタビューして研究していたのだそうだ。そうしてその成果を10年ほどかけて本にしたのだと。まさにグリットの体現者である。今回のテーマ『グリット』については、第3章『勝者は決して諦めず、切り替えの早い者は勝てないのか?』に詳しく書かれている。

ブログ:https://www.bakadesuyo.com/

Twitter: https://twitter.com/bakadesuyo

 

ちなみに余談だが彼は日本語を多少理解するようで、ブログのURLが「バカですよ」という自らの名前Barkerにかけたダジャレになっている。余談終わり。

 

それで彼いわく、、

グリットを貫くのに必要な気質は『楽観主義』であるという。
さらにポジティヴなストーリーを自分自身に語るのが大事だという。
従事する物事をゲームのように捉えることも大事なのだそうだ。
また時には、グリットよりも諦めることのほうが大事であるともいう。

3章の内容を要約するとおよそこういった簡潔な主張になるのだが、せっかくなのでもう少し具体的に引用してみよう。以下はバーカーが迷える読者たちに示す質問のフローチャートである。

Q.1 自分が粘り強く取り組みたいことが見つかっているか?

A はい!
B まだよくわからないが、これかなというものがいくつかある
C 質問は何でしたか?集中できなくて・・・

 

Q.2 あなたは楽観主義的か?

A もちろん
B 私たちは皆、孤独に死んでいくし、テレビで観たい番組もない。

 

Q.3 あなたは有意義なストーリーを持っているか?

A ヴィクトール・フランクルも評価してくれるだろう
B ビル・マーレイの映画から借用している

 

Q.4 生活や仕事にゲームの要素を取り入れているか?

A 私をマリオと呼んでほしい
B いまだに年に一度の業績評価を待っている

 

Q.5 何にでもグリットを持って粘り強く取り組む人へ。あなたは病気の人のように、自分の時間とエネルギーは有限だと認識しているだろうか?

A 自分にとっての最重要なことを心得ていて、それに集中している
B 「やることリスト」が三百個もあるので、今は答えられない

 

Q.6 目標達成まであと一歩。「小さな賭け」をいくつか試みただろうか?

A 少林寺行きの荷物をまとめたところだ
B テレビのチャンネルさえ同じところしか見ない。ほかのチャンネルはどんな番組をやっているか知らないので

 

個々の質問に関する詳細の内容は面倒なので1つずつ説明することはしない。質問に興味がわいたなら是非本書を手にとってみてほしい。ただ質問3については少し解説しておこう。著者いわく、行動するためのモチベーションの原動力は自らに語りかけるストーリーにある。ストーリーは現実を正確に反映したものではなく、その不正確さゆえに私たちに進み続ける力を与えてくれる。重要なのは、自分がしっかりと納得できるようなストーリーをもつことだ。誰もが矢沢栄吉のように『ビッグになる』というシンプルなストーリーに自分を邁進させれるわけではない。ぼくだって『理想の彼女をゲットする』というシンプルなストーリーに納得して入り込んでいけたらどれだけ楽だったか。多くの人は既成のストーリーに躊躇いニヒルに失笑する。あるいは酩酊し自分の位置を見失う。

そういう人たちは自分に合った形でストーリーの編集作業を行う必要があるのだと著者は説いている。自分が納得のいく形になるまでストーリーを編集すること。ストーリーをうまく紡げない人にむけて著者は簡単なアドバイスをしている。いわく「履歴書向きの美徳」と「追悼文向きの美徳」に分けて考えろと。前者は資産や昇進といった外面的な成功を示すもので、後者は親切だったか誠実だったか勇気があったかなどの内面的な性質を意味する。たとえば他人を欺いてまでビッグになりたいとはどうしたって思えない人は多いはずだ。そうすると『ビッグになる』外面的ストーリーに加えて『正しく生きていく』という内面的サブストーリーが加わり、物語はより重層的になっていく。

一度編集したら役を演じ切ることが大事だとも言っている。信念が行動を形作るのではない。行動が信念を徐々に形成していくのだ。何も行動しなかったら、どんどん斜に構えた態度は強化されていく。

 

質問5と6についても書いておく。これこそが本章の要である。つまり彼いわく、物事にはやり抜くべき時と諦めるべき時があるのだと。

「あの仕事をもっと早く辞めればよかった」
「あの関係はとくに終わらせるべきだった」

と後から思ったりしたことがあるだろう?その反面なにかに見切りをつけてから、

「もう少しやり続けていればよかった」

と思って再び始めようとしたこともあるかもしれない。わたしたちは一体どのような基準で物事に見切りをつければいいのだろう。

著者はこの戦略的放棄のタイミングについてWOOPというフレームワークを提示している。WOOPとはなにかを簡単に説明する。

まず、自分の願いや夢をイメージする(W:Wish)
→理想の彼女を手に入れたい

次に、願いに関して自分が望む成果を具体的に思い描く(O:Outcome)
→六本木でナンパして高学歴スト高をゲットする

それから現実を直視し、目標達成への具体的な障害について考える(O:Obstacle)
→スト値が足りない。技術が足りない。

最後に障害に対処する計画を考える(P:Plan)
→???

現実を直視し、目標達成への具体的な障害について考える。。サラッと簡単に言ってくれてるけど、難しい。この地方都市に住んでいたらもうこれ以上新しい女に出会えることはないかもしれない。もはや整形をしないとこれ以上イイ女を落とせないかもしれない。男女のマッチングというのは社会的な現象だから「絶対」なんてものはない。ただ現実を支配する法則のようなものはそのうちぼんやりと感じれるようになる。そのようなぼんやりとしたものに何かしらのタイミングで確信をもつということが、現実を直視するということに相当するのだろう。ぼくならそれを「啓示」と呼ぶ。あるいは多くの人たちはもう少し漠然と、「今の状態のままでは、たぶん自分の望む女は手に入らないかもしれない」といった具合に感じるだろう。そういった場合は、障害は何なのかを専門家に意見を求めるというのはとても有効なことだと個人的には思う。夢を見ることと現実を眼差すことの相反する2つの視点をもつことが、最後までやり遂げるか、見切りをつけるかを判断する決め手となると著者は説いている。

 

最後に、本書に関するぼく自身の率直な感想を書いていこう。

1、
諦めれるものならばどんどん諦めれば良いだろうが、男にとって女というのは人生のインフラのようなものである。くだらないからといって義務教育を放棄することができないのと同じように、モテないからといって女を早々スッパリと見切りをつけるわけにはいかない(と多くの男たちは感じているはずだ)

ナンパ講習生がぼくに尋ねた質問で1番多かったのは、

「シンジさんから見てぼくはどう映っていますか?」

で、2番目は

「ぼくはナンパに向いていると思いますか?」

だった。後者の質問をされるたびにぼくは困った。わからないのである。わからないなりにポジティヴに励ましていた時期もあるし、「向いていない」と引導を渡すような言葉をあえて使っていた時期もあった。他人の意見は参考にはなるにせよ、自分に引導を渡せるのは最後は結局自分だけである。どういうときに今まで邁進してきたストーリーに引導を渡すのか。就活や婚活はどこで終わりにするのか。著者の言うように引き際のことを考慮にいれてストーリーを進むなんてことはぼくにはできない。進むときはひたすら進むだけである。一生懸命自らを投入しつづけていたら必ずふと自分が受け入れることのできる形で<ストーリーの編集>に関する啓示が降りてくるのだと信じている。たとえ天災や病気など思いもよらない形で自分の温めていたストーリーの強制終了を余儀なくされたとしても、人には再び立ち上がって別のストーリーを紡ぎ始めていく力がある。

 

2、
またそれとは全く違った次元で、世の中には『グリット』のカケラも持ち合わせていない人たちもたくさんいる。様々な分野に関心を向けようにも大きなエネルギーを投入するほどの対象はない。特に、一度大人になって生活がまがりなりにも安定して回ってしまった後には新しく自らを投入する対象を見出すのはとても大変だ。彼らには上記のような質問フローチャート自体が無意味で退屈なものに思えるに違いない。どんな本でも3分で投げ出してしまう人がいて、簡単なジョギングすら2日と続けられない人がいる。世の中の大半の大人というのはそういった人たちだ。にもかかわらず、皮肉なことに彼らにだって人並みの(下手したら人一倍)欲望はある。できるだけ余裕を持ってさらに快適に暮らしたいのは変わらない。しかし彼らがそういった成果を勝ち取るのはグリットを通してではありえない。ぼくは彼らが地道に「成果」を積み重ねるとはどうしても思えない。グリット戦略というのは巨大なな成功を収めるのには有効な戦略なのかもしれないが、大きくはなくても着実な成功を収めていくには、他にもいろんな戦略があるはずである。

 

3、
例えば自分の周りを見回した時、キョロ充がある程度の社会的成功を勝ち得ていることは意外に多い。成功に敏感なビジネスマンたちが業種交流会などで集まった時に盛り上がる話題は、「どんな仕事を成し遂げるか?」よりも「業界で有名な○○さんと知り合いなの?」であるらしい。そういうキョロ充たちが年収云千万を獲得して優雅な生活を送っている一方で、社交について無頓着なコツコツ型の人間たちが(少なくとも経済的には)比較的不遇な目に遭っている様をぼくはよく目撃している。つまり「力のある人に好かれる」という戦略、控えめに言っても「嫌われない」という戦略は、経済的・社会的成功を達成するための大きな要因になっているのはどうしても否めない。「キョロ充戦略」は有効なのである。この「人脈と社会的成功」に関する話題は本書では4章において詳細に論じられている(さすが!)が、ここではその要旨を述べるにとどめておきたい。社交的な人間ほど高収入を得て幸せを享受しやすいが、専門性は低くなる。内向的な人間は膨大な時間をひとつのことに注ぐので、専門家になりやすい。

 

また「パクり戦略」や「詐称戦略」というのもある。というのもある。たとえばウェブの世界ではCtrl+Cでほとんどの文章が一瞬で複製できてしまう。ウェブに無料で転がっているものを器用にパッケージングして商品化することで生計を立てている人は多い。くわえてウェブは匿名が基本であるため、他人のコンテンツをパクってもリアルの世界ほど厳しく追及されることは少ない。そういうわけでインターネットはパクりで財を成す人にはもってこいの場である。また、そういった露骨な戦略でなくとも、われわれは他人から受け継いだものをさも自分が初めから持っていたかのように振舞うことが多々あるはずだ。「パクる」ことに対してはっきりとした負い目がない場合は良心も痛まない。そういう時は堂々と人並みに権利だって主張するし、自分が危うくなると他人を非難したりもする。

現代の顕著な詐称戦略において美容整形は欠かせない。就職でも恋愛でも「美しい」人材には価値があるとされている。結婚は一時的な恋の熱狂によってなされてしまうことがとても多いだろう。その点、ある程度厳格な審査基準を定めて2重3重に審査する受験や就活とは違う。相手の美しさに頭をガツンとやられているうちに、その他の価値判断ができなくなってしまう。そのため自らの価値を錯視させて配偶者を獲得しようとする戦略は非常によく用いられている。また学歴や職歴をロンダリングするのも詐称戦略のひとつである。昨今大胆な「詐称戦略」を決行したのはショーンKである。彼はロンダリングどころか経歴をまるまる詐称することで華やかな仕事を獲得して社会的な名声を獲得した。様々な人が詐称戦略に邁進する一方で、世間はそういった詐称を暴きたてることに躍起になっている。こういった戦略を突き詰めて考えると、価値を提供するとは何か。という問題に行き当たる。そして本書では2章に書かれていた(さすが!)

 

「グリット戦略」にせよ「キョロ充戦略」にせよ「パクり戦略」にせよ「詐称戦略」にせよ、多くの場合は、ひとりの人間の中に複数の戦略が同居していて、場面場面で個々の戦略が無意識に顔を出す。一途にひとつの戦略だけを採用しつづけるのは極めてまれなことだろう。さらに当の本人は自分たちのやっていることをあまり意識的に認識していないことも多い。当人は極めて楽観主義的なストーリーでグリットを邁進し続けているつもりなのだが、いざ蓋を開けて実態を覗いてみたら「パクり戦略」以外の何物でもなかったみたいな例は世の中に五万と溢れているし、学歴や職歴をロンダリングするのにはグリット戦略が必要にもなるだろう。

 

4、
とにかくこうやって人は自分のおさまるべきところにおさまっていく。前述のバーカー本でも最初の第1章で、英首相のチャーチルやピアニストのグレン・グールドの例を挙げて、いわゆる普通の環境では弱点とされているものが特異な環境下では強みになって強力な成果を達成するのだという主張を繰り返し展開している。いわく、「蘭は、劣悪な環境では萎れ、適正な環境で開花する。」
すなわち教訓は、己自身を知りそれに合った畑(環境)を選べ。だ。

『職業としての小説家』にも、以下のような記述がある。

僕は生きて成長していく過程で、試行錯誤を重ねつつ、僕自身のやり方をなんとか見つけていきました。トロロープさんはトロロープさんのやり方を見つけ、カフカさんはカフカさんのやり方を見つけました。あなたはあなたのやり方を見つけてください。身体的な面においても精神的な面においても、人それぞれに事情は違っているはずです。人それぞれに、それぞれのセオリーがあるでしょう。(P.207)

 

無難な着地点に落ち着いてしまったことに対する心苦しさは多少あるが、ただ、ぼくも含め一体どれだけの人がこのありきたりな結論を真剣に吟味しているだろう。イチローや村上春樹のようなスーパースターへの憧れは、何かしらの物事をスタートさせる大きな起動力になる。夢はあなたに無限に溢れるような力を与えてくれる。だけど夢や憧れの感情だけでは物事を継続してはいけない。自分に合った場を見つけて継続して積み重ねていくためには、どこかのタイミングで彼らと自分を丁寧に切り離して自分自身を吟味することが大事なのだろう。