【24号書評】<5250字>田中角栄の女性観

公家シンジ
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田中角栄という人物のことを取り上げたい。新潟の農村に生まれ戦後の混沌の中をたくましく昇りつめて総理大臣にまでなった立志伝中の人物である。角栄を取り上げたのは、流星氏にどことなく似ていると感じたからだ。一体どこが似ているだろうか。エネルギッシュ。柔軟。たくましい。根が明るい。ひきずらない。面倒見がいい。そして常人には見えない何かが見えている。流星氏は自らのことを「昭和の中小企業の経営者マインド」だとよく自称する。しかし実は流星氏だけではなく、上の世代を見上げれば角栄に似ている人はたくさんいる。ぼくの父もどことなくふんわり角栄の匂いを発している。経済が絶え間なく発展し皆が将来に明るい展望を持っていた昭和の時代、日本には小さな角栄が山のようにいたのかもしれない。角栄は戦後日本のある種の象徴的な人物であると言える。

しかしながら、現代のわれわれは角栄的な振る舞いをロールモデルとしてもいいのだろうかという疑問がぼくにはある。角栄の振る舞いははたして平成の時代にも成立しうるものなのか。わからない。正直に言って本当にわからない。今はホリエモンとか、キングコングの西野氏とか、そういう人物のほうがロールモデルとして相応しいのだろうか。わからない。なにひとつわからない。だが、角栄が時代を超えて人を惹きつける人物であるということだけは確かである。少しでも大きな本屋に行ったなら、角栄本が所狭しと並んでいる様を目の当たりにする。たぶん売れているんだろう。角栄の名言、角栄の演説術、角栄の官僚操作術、角栄の交渉術、角栄の気遣い、角栄の遊び方、角栄の人間観。どんな角度から切り取っても、それが全て絵になっている。中身がギュウギュウにつまった人間だということだ。

ぼく自身は時代の流れとはあまり関係なく生きているような人間である。時代の寵児のような人物を生き方のロールモデルにしようと考えたことはない。悪く言うと柔軟性がないということなのだが。今回はひとつ外野的な興味として、書物を通じて角栄という大人物に迫ってみたい。そうしてそれを皆さまと共有したいと考えている。

一応読んだ本を以下に挙げておく。

  • 田中角栄100の言葉 ~日本人に贈る人生と仕事の心得 
  • 大宰相(さいとうたかを)
  • 天才(石原慎太郎)
  • おやじと私(早坂茂三)
  • 田中角栄とその時代(早坂茂三)
  • 私の田中角栄日記(佐藤昭子)
  • 角栄一代(小林吉弥)
  • 角栄研究全記録 上(立花隆)
  • 政治と情念(立花隆)
  • 田中角栄政治家の条件(小室直樹)

まあ、読んだ読んだ笑。だって面白いんだもの。今回は『女』という切り口から。
そして次回は『カネ』という切り口から書いてみることにする。

 

人間関係はギブ&テイク

「いいかい、女っていうのはな、人生の荒砥なんだ。荒砥さ、あの」

「接するたびに男はすり減っていく」

角栄の女性観である。
男と女は恋に落ちてお互いに惹かれあうものだが、女と接していると男はすり減っていくのだと彼は捉えている。女を食わせることはこちらの負担であるし、女の話を聞くことはストレスになる。また女と繰り返しセックスすることは男にとっては極めてツラい行為である。

しかしながらなぜ彼が女を求めるかというと、それでもやはり女から得るものがあるからだろう。彼は結局は男女関係もギブ&テイク、交換の関係だと捉えていたのに違いない。

 

「あれ(嫁とのセックス)だけはマジメにやれ。戦争に行ったと思えばできないことはないんだから」

彼は自分をすり減らしながらも、ひとりひとりの女の欲求にできるだけしっかりと報いようとはしていたはずである。男が女に与えることができるもの。そのひとつがセックスである。女にはありったけの苦労をかけるから、せめてセックスではしっかりと奉仕しようとしていたのだろう。

 

理想の結婚相手

「嫁は実家のよすぎるところからもらっちゃダメだ。口を開けば、里の父が、里の母が―と言いだす。たまげるような持参金を持ってきて、てっかい家を作ってもらって、男がそこへ入ったんでは、嫁さんに一生、頭が上がらない。そういうのはもらわないほうがいい。もらうんならば、身寄り頼りのない、逃げていくにも逃げ場所がない、ここで我慢して子供を生んで、辛抱してやっていくしかない、そういうのがいいんだ」

彼の結婚観が如実に表れた発言である。
当時の秘書の早坂茂三氏に語ったとされる。
男がバリバリ外に出て働き金をぶんどって家に帰ってくる時代の話である。

「オレはツンと澄ましている女より、旅で汚れたワラジの足を洗ってくれるような女が好きだ。料亭の女将には芸者上がりと女中頭上がりが多いが、一人前になってきり回しているのは皆、女中頭上がりだ。芸者上がりというのは若い頃からチヤホヤされてきたから、とても大きな料亭は仕切れない。苦労を知らんから、人が付いてこない」

彼の主張は「献身的で働き者の女を選べ」ということに尽きる。
自分自身を生涯かけてサポートするような女と一緒にいるのがいいようだ。
多くの男たちが芸者上がりで外見の奇麗な女を選ぶところ、さすがの慧眼である。

 

ちなみに角栄自身には正妻の他に愛人が少なくとも2人はいて、彼女たちはそれぞれ角栄の子供を産んだ。彼はその女子供全てを食わせている。まるでゴリラの群れのようだ。一頭の強いオスがリーダーとして複数のメスとつがいになって家族を形成している。

正妻のはなはバツイチ子持ちで角栄より8歳も年上だったが、無口でよく気が付き働き者であるところが角栄の気に入ったらしい。彼女は土建業者の令嬢であったから身寄りもあったし逃げ道もあっただろう。なので上の名言は正妻には当てはまらない。正妻との結婚はいわば玉の輿であって、彼はこれによって土建業を継いで経営者としての才覚を磨いていった。そういうちゃっかりしたところもある。ちなみに彼は結婚した日に嫁さんから3つの誓いをさせられる。

「一つは出て行けと言わないでください。二つは決して足げにしないこと。三つは将来あなたが二十橋を渡る日(天皇陛下に拝謁するの意)があったら私を同伴すること」

「それ以外のことは私はどんなことでも耐えます」

にわかには信じがたいエピソードだが、これは換言するならば、
1、私を
一生食わせてほしい
2、私に暴力を振るわないでほしい
3、私を一番目の妻(本命)として扱ってほしい
という要求だと捉えてもいだろう。
彼女は過去の結婚の失敗から自分が配偶者の男に求めるものを明確に学んだのかもしれないが、これらの要求は女の欲求の深い部分を捉えているような気がする。
角栄は彼女から女というものの多くを学んだのかもしれない。

 

女に仕事をさせる

角栄は愛人のひとりを秘書にもしている。これは公私混同とも言えるが、男女の関係に囚われずに、女を人材として見ているということである。人事部の発想だ。

角栄と彼女が最初に出会ったとき、彼女には婚約者がいた。それから女は婚約者に裏切られ財産も大きく失って東京で路頭に迷っているときに角栄と再会する。彼女こそがまさしく「追いつめられて逃げ場のない女」である。角栄にとってはチャンスである。そういう女には2つのものを与えればいい。1つ目は居場所。逃げ場のない人ほど、役割(ポスト)と報酬(評価)が保証されることによって真面目に働くものである。実際に彼女は角栄の片腕として30年近く共に働き、最終的には財務のあらゆることを取り仕切る立場にまでなっている。もちろん彼女には秘書としての適性が会ったのに違いないが、角栄の合理的な人事判断によって彼女は大成したとも言える。

ちなみに追い詰められた女に与えるものの2つ目は愛情である。女は自分が愛した男にはとことん尽くそうとするものだし、男から与えられる愛こそがそういった女の献身を支えるものになる。

二人が会ったこの日のことを、後になって田中はよく話した。

「おまえの家に初めて行った時な、ちり紙がほしいと言ったら、おまえ、店の品物をトットと持ってきた。家つきの一人娘なんだなと思ったよ。」

そして、本当にそう思ったかどうかはわからないけれど、

「おまえに一目惚れしてしまったんだ。あの時、連れて逃げようと思ったんだが、おまえは堅気の娘だったし、もう婚約者もいたからなあ」

白山下の料亭の一室で、田中はしみじみと言った。

「きょうは二月二十三日か。また君のお母さんの祥月命日だなあ。ほんとに不思議な因縁だ。俺と君が初めて会ったのもお母さんの命日だったし、こうして会えたのは、死んでも死に切れないで君のことを心配していたお母さんが俺に君を託したんだよ」

それから三十年余、田中は毎年二月二十三日には必ず二人だけの食事にさそってくれた。病気で倒れるまで、一年も欠かすことなく。

バリバリの色恋管理である。

巷では「特別感を与える」というテクニックとして持てはやされている技術だが、角栄はこういったことをハウツーとして意識してやっていたわけではないように思う。テクニックとして捉えているなら、一年も欠かさず記念日に女と食事に行くなんてできるはずがない。こういうところに彼の情念が宿っている。

 

情念が引き出す大きな力

情念というのは、なにも男女関係だけに成立するものではない。角栄の周りには「オヤジ」と慕って絶対の忠誠を誓う男たちがたくさんいた。角栄が「たのむ」と言うと周りは死力を尽くして働くのである。人事部の人間が「お願いします」と言うのとはわけが違う。これが情念のもつ力である。

だが男女というのは特に情念で結ばれやすいものだ。色恋というのは覚醒剤のようなもので、女は自分のキャパシティ以上に男に尽くそうとするし、男は男で非合理的な判断をしてしまうこともある。「愛人を秘書にしておく」という選択は政治闘争においてはリスク要因でしかない。そのことを子分たちから諫められたこともあったが、角栄が合理的な判断をして彼女を解任することはついにはなかったのである。
そうして男と情念で結ばれた女は彼女のように大化けするポテンシャルを引き出されるのである。

「男は一杯飲ませて握らせれば転ぶ。しかし、女は一度こうと決めたら動かない。人間の本質が分からないで選挙など勝てるものか」

蓋し名言であろう。

 

ドSの本領

角栄はメンヘラの女と相性がよかったのだと思う。
メンヘラとはいわば自分自身を持てあましている人間のことである。やることがない、あるいは進むべき方向性が見えず自分を持てあましてる。ゆえに他人からかまってもらうことに意識の大半が占められている。

多くの凡庸な男たちは口を揃えて
「メンヘラはこちらのリソースを奪うだけ奪っていく」

などと言って、彼女たちのことを必死に避けたり、メンヘラと関わる対価としてお金を得ようとしたりする。彼らとは違い角栄は
「やることがないなら俺のために生きろ」
とでも考えていたのだろう。ドSの本領である。角栄はメンヘラ女の人生に意味を与える。メンヘラたちが人生の小作農だとしたら、角栄は偉大な封建領主であると言える。

彼は女をどう活かしたか。役割を適材適所で与えていったのである。家庭の中におさまるのが向いている女には育児を中心とした家事を与え、外仕事に向いていると判断すると惜しげもなく職務上重要なポジションを与えていく。そうしてどの女に対しても、金なり、セックスなり、承認なり、生きがいなり、その女の心が望んでいる報酬を目一杯与えて、彼女たちの力を精一杯引き出そうとしている。今まで自分のことを好き好きかまってかまってと言っていたメンヘラが結婚して子供ができた途端に急に自分の方など見なくもなって子供に関心が向くというのは、よく聞く話である。こうやって角栄は女の鬱屈した大きなエネルギーが働きだす<きっかけ>と明解な<方向性>を与えるのがとても上手かったのだろう。

しかしながら角栄はある日急に脳梗塞で倒れ言語機能を失い、半分死んだような状態になってしまった。長年の無理が祟ったのだろうか。他人を目一杯働かせる以上に、彼は自分自身こそ目一杯働かせていたのに違いない。そして角栄が倒れたことによって、周りの人間たちは多くのモノを失ってしまう。みんなこれまで角栄という巨人にどっぷり依存しながら生活していたのだ。彼の口癖はご存じ「全ての責任は俺がとる」であり、事実彼は自らの責任のもとに他人を自由に動かして多くのことを成し遂げた。女たちとも関係においても、約束をしっかりと守って彼女たちを安心させただろうし、万が一守れないことがあったなら不満が出ないようにしっかりと埋め合わせをするということを心がけていたに違いない。しかし倒れてしまうとさすがの角栄も責任を果たすことはできない。

本当の悲劇は角栄の正妻の娘、田中真紀子との関係であったかもしれない。最も角栄と情念で結ばれていたのは彼女であった。角栄は娘を溺愛していたし、娘も角栄を愛していた。彼は娘のことを人材として見ることができなかったのかもしれない。理性よりも情念が上回った。その結果、彼女はあまりにも未熟で傲慢な大人になってしまった。角栄の能力や見識を全く受け継ぐことができないまま権力だけを引き継ぎ、その結果多くのものを台無しにした。角栄が病に臥してからは彼を自宅に幽閉し、秘書や愛人そしてその子供たちが会うこともできない状態にしてしまう。彼女は自分でもコントロールすることが全くできない情念の力に振り回されていて、それを唯一コントロールすることができた角栄は今や力を失っている。そういうところに、ぼくはとてつもない因果の業を感じてしまったのであった。